カテゴリ:エネルギー・資源・ゴミ
◆ガイアの風からのメッセージ
ぼくは日本のすぐれた資質をもった今の労働者を、単なる利益を生み出すためのニワトリにすべきではないと思う。政治は「経済のグローバリーゼーション」を推進しているが、本来は逆だろう。「経済のローカル化」と「人のグローバル化」こそが必要だ。 日本は歴史上例を見ない「超少子高齢化」に見舞われている。しかもエネルギー自給率は1割、食料自給率は4割、2100年には人口が半減し、しかも高齢者ばかりになっている国だ。リスクが高いのだから、当然高い金利でなければ融資しない。すると円は信頼されないのだからじりじりと価値を失ってく。 円が暴落したとき、モノが買えなくなって気づくのだ。円の価値が高かったからこそ、世界中から資源を輸入することができていたのだと。もはや寒くなっても灯油すら買えず、電気すら買えない。ひもじくても食べ物すら輸入できず、膨大な数の人が飢えに見舞われる・・・。それは現にロシアでもアルゼンチンでも起きたことではないか。 そうならないためにも地域で自給できるエネルギーと、地域で自給できる食糧の強みを持ちたいのだ。エネルギーセキュリティーとは、国益を声高に叫ぶ一部の政治家や評論家が言うような、石油ルートの海峡確保だけを言うものではない。本当のエネルギーセキュリティーは、いかに人々が安価で安定的なエネルギーにアクセスできるかの問題である。そうであればバイオマスの一つである農業を含め、地域の自然エネルギーで自給できるようにしていくことこそが本当のセキュリティーであると言えるだろう。 巨大な経済のグローバリゼーションの荒波に翻弄されながら生きるのではなく、小さな単位から成り立つ経済によって生活できるようになると、社会のパラダイム(舞台の枠組み)は逆転する。地域の経済の積み重ねの上に国際経済が成り立つことになり、グローバリゼーションは経済の用語ではなくコミュニケーションの用語となる。 今時点から考えると、経済のグローバリゼーションを押し止めるのは不可能に思えるだろう。しかしそれも無理な話ではない。インターネット取引が世界を統一的な市場にしてしまう90年代中盤まで、モノの貿易は二国間の相対取引が中心だった。その少し前までは、国の経済はその国の通貨によっており、国際市場と国内市場は分断されていたのだ。石油価格が正当な価格になることで、そこに戻るだけなのだから不可能な話ではないはずだ。 そもそも「未来への扉」は、たった2種類しかない。一つは「余儀なくされる未来」、もう一つは「自分の意志で開く未来」だ。この2つには大きな違いがある。 「戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方」田中 優 より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月19日 16時45分39秒
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