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カテゴリ:教師について
私が新米教師だった頃はまだ、教師の言葉は乱暴でした。若い私の目からは先輩教師が権威に頼っているように見え、少しいやな気がしました。権威といってもその権威はどこに由来するのかいまひとつわからないような代物で、それ故、いまや教師の権威は地に落ちています。1980年代の校内暴力はそんな【権威】に頼る教師と、個人主義が浸透した生徒の衝突であったという側面もあるように思います。 権威に頼って仕事をしようとすると、どうしても人に対して「オイ・コラ」的な態度になってしまいます。そして「オイ・コラ」的な態度がもっとも表れるのが言葉ということになるでしょう。 それで変人な私は、なるべく丁寧な言葉を使い、権威に頼る割合を減らす(※)ように心がけました。本当はガラの悪い私が、できるだけ丁寧な言葉でしゃべるのはいささかキモチワルイことでした。たとえば、「です」「ます」を基本にすることに加えて、 「~しろ」ではなく、「~しなさい」「~しようか?」「~してください」 「~だ!」と、断定せず、「~じゃないかな」「~だと先生は思うのだけど」 呼び捨てではなく、「○○さん」 と、いうように。初めは中学校勤務だったので、「○○さん」と男性教諭が呼ぶのは気持ち悪がられましたし、それで相対的に「甘い教師」と見られてしまう傾向もありました。けっこう辛いものがありました。 その後、野田俊作さんという心理学者が大阪で「アドラー心理学」という学問の理論にもとづいて実践をされて学校を建て直したという本「クラスはよみがえる-学校教育に生かすアドラー心理学」も読んで、その傾向はさらに強まったかもしれません。ちなみに、今はやりの「自尊感情」もアドラーさんの理論の大切な柱だそうです。まあ、かなり極端なやり方なので、この本の通りにしたら、失敗する確率は高いと思いますが・・・・。 とはいえ、今ではけっこう多くの教師がこのようにしゃべっていると思います。ずいぶん丁寧になったものです。「オイ・コラ」式の教師は少数派ではないでしょうか。それがアドラー心理学の影響かどうかは定かでないし、アドラー心理学のことはよく知りません。 教師が権威を振りかざさず、子どもたちに寄り添って、ていねいな言葉を使って、伴走するような支援的態度で活動を促す・・・といった考え方が、1990年辺りから広がってきたように思います。その考えが本当に良いのかどうかは今の所はよくわかりません。心は揺れています。 ただ、「オイ、コラ」式が通用しなくなっていることは間違いないし、温かい言葉がけを心がけることによって、子どもたちに「気持ち」が通じる場合も少なくはないのではないかと思います。
※ 勿論、権威を全く否定しているわけではありません。全く権威なしでやってきたわけではありません。今でもけっこう意識的にも無意識的にも「なけなしの権威」に頼っている面があるだろうなと思います。ツボにはまれば、「ゴラァァァァ!許さなーーーい!」と、権威があろうがなかろうが、鬼のように怒る私です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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