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カテゴリ:教師について
前々回のエントリーに書いたように、今年受け持った4年生は漢字の力が本当に弱かったのです。漢字は小学校の学習の中でも基礎の基礎であり、現行学習指導要領を作成するときには「全員が100点をとれるようにする」と当時の文部科学省官僚寺脇 研氏が豪語していたはずです。これが、現場では実践されていない。 新出漢字はその漢字が新出した次の学年で「書ける」ようになることを現行学習指導要領でうたっていますから、考えようによっては私が持った4年生の4月時点での「3年生の漢字の書き取り正答率が45%」というのは、許される範囲なのかもしれません。ですが、2年生の漢字の書き取りが72%、3年生の漢字の読み(読みはその年にできるようになることが前提)さえメタメタ(データは取っていません)だったことは、かなりひどい状態です。 それでは、1~3年生までの担任が、ものすごくサボりだったのかというと、そうではありません。1~3年生までを受け持った担任の年齢は1人が20代だったことを除いてみな45歳以上、私にとっては先輩だったのです。みな抜群に優秀とは言えなくても、いわゆる問題教員というような方ではなく、周囲からも平均的な教員として認知されているのではないでしょうか。人間的にも、どちらかというと誠実な方だと思います。そんなベテラン陣に育てられた子供がこんなにも漢字ができない。漢字だけではなく、他の学習(教科)もかなりきつかったです。 子どもたちの性質もそれほど悪いとも思えない。 それなのに、なぜこんなことが起こるのか??? 学校の中に、教員の力をつけるシステムが確立されていないからだと思います。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 一つは、学校という組織の中に、「評価する」「検証する」という態度が乏しいことだと思います。 担任がどのくらいの力量を持っていて、その力量を発揮しているのか??クラスの状態はどうなのか??学力は?人間関係は? 管理職もそういうことをきちんと把握する努力をしないし、我々教員も「検証=管理」と受け取って身構えてしまうからです。 特に団塊世代の教師陣は管理職が教室に入ってくるようなことを嫌います。校長が授業中に前触れもなく教室にはいってこようものなら、「勝手に覗いた」と憤慨される先輩も少なくありませんでした。 極端な水平関係を望む平教員と、下手に垂直関係を持ち込む管理職。 今の現場で教員評価というと、実にネガティブな印象を受けます。管理職がおごそかに授業を見て、教師をランク付けし、給与を査定する。そんな烙印を押すための評価はつらいばかりです。 私たちの組織では、「公開授業」というものがあります。学校レベル、研究部レベル(市・地域・県・地方・国)など、いろいろと「公開授業」をやります。そういう授業はどうしてもガチガチに武装したものが多く、普段の授業に比べると準備に何倍もの時間をかけています(その分、普段の授業の準備の時間が削られているとも考えられます)。 一人につき年一回するかどうかの公開授業を見て、「なってない」などと烙印が押されて、「ではどこをどう変えればいいか」が示されないことが多いです。 公開授業も必要だと思うのですが、いつかも書いたように、もっと普段の授業を見合う機会を作らなくてはいけないと思うのです。 すべての授業が公開である。と、考え方を変えるべきだと思います。 ちょいと授業を見てみたり、テストの結果を見てみたりして、「ここをこうすればもう少しうまく行くのじゃないかな」というアドバイスをする習慣を作るべきだと思うのです。 私は、子どもに対して総括的評価(いわゆる通知票での評価=権威的・烙印的)よりも、形成的評価(毎時間あるいは単元毎の細かい評価=サポート的)を大切にしています。通知票を配って「あなた三重マル、あなたバカ」とやるのでは、本人にとって何をどうすればいいのかがわかりません。それよりも、日々、チェックを怠らずに、「ここができていないからこうすればこうなるよ。」と、きちんと道筋を示して、「ほら、よくなったね」と、できるようになったことを誉めてあげるサイクルを作ると、子どもは大きく伸びます。 教員だって、同じじゃないかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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