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カテゴリ:教師について
「世の中科」で有名な東京都杉並区立和田中学校校長藤原和博氏が、先日のNHKスペシャルで「免許更新制度というが、現行制度でも既に10年目研修がある。しかし、それで教師の力量が(十分に)上がったと言う話は聞かない。」 という発言をされていました。全く同感です。教師の力量を上げることは、世間一般が考えているほど簡単ではありません。 教員の力がつきにくい理由<<2>>です。 情報の流れの悪さです。 最近のエントリーで漢字ができたサッカーがうまく行ったと自慢を書いていますが、これが(これっぽっちのことが)できるようになるまでに、結構な時間がかかりました。本気で「絶対になんとかしよう」と、自分の気持ちにスイッチが入るまでに数年、スイッチが入ってから本当にできるようになるまでに3年、完成度が高まるのに3年ぐらいの年月がかかっています。 では、お前はそのほかにも何が「できる」教師なのかと聞かれると、恥ずかしながら、これ以外のことでまだできていないことが山ほどあるのです。 たとえば、逆上がりクラス全員成功はまだ達成したことがありませんし、国語の物語文で上手な教師がする授業を見ると、自分のやっている授業の稚拙さが恥ずかしくなってしまうことがあります。 自分のできていない部分を克服するには、どうやったらいいのか?どうやったら教師としてもっと成長できるのか?? ほとんどの教師が程度の差こそあれ、そんなふうに考えていると思います。しかし、残念ながら、なかなかよい情報、自分に合った情報にたどりつけないことが、教師の「力をつけたい」という「思い」の実現を難しくしているように感じます。 研修に行っても、本を読んでも、校長をはじめ、先輩教師に聞いても・・・飛びぬけた資質や強烈な「思い」がある人以外は、それほど成長はしません。 ある先輩M教諭は、厳しい漢字学習の課題を子どもに与えて鍛えていました。新出漢字1字につき、ノート1ページにびっしりと練習と調べ学習をさせています。確かにそのやり方では上位20%の力が伸びますが、下位50%は置いてきぼりになっています。課題を過酷であると受け止めているだけです。M教諭は下位の子どもたちに対して、無頓着でした。「課題を真剣にやらないあの子達が悪いんだ」とばかりに厳しく指導します。 「それはちがうのではないの??」と、私は思いました。 でも、前回エントリーで書いたように、私達の職場には適切な「評価」を行う習慣がありません。 そうなると、結局のところ仕事の成果を上げるかどうかは、個人個人の誠意に委ねられてしまいます。下位の子どもに無頓着なM教諭は、自分では誠意があると思っているようですし、まあ、あんな課題を与えて一生懸命にやっているという意味では誠意がない人でもありません。管理職を含め、周囲からもよくやっているようになんとなく評価されています。 適切な評価がないのでM教諭が一生懸命にやっているように見えて、下位の子どもを落ちこぼしていることを知っているのは私だけでした。 しかし、もしM教諭に「下位の子どもをなんとかしてあげたい」という気持ちがあって情報を求めたとしても、漢字学習を効果的に進める「情報」が簡単に見つからないのです。 多くの教師はなんとなく
・・・といったかなりあいまいな気分のままで日々を送っています。 多くの教師が真面目でそこそこの誠意を持ち合わせているにかかわらず、漠然と情報不足を克服できないでいます。 今年は4年生だったので、社会で県の学習をしたのですが、まず、学校内に県の白地図が見つかりませんでした。そんなもの(情報)さえ手に入らない。教科書の伝統産業の単元に「備前焼」のことが出ていて、せめて備前焼に関するビデオでも見せてあげたいと思っても、適当な資料をすぐには手に入れる余裕がありませんでした。情けないことに、結局、教科書に載っている文章と資料だけで授業をやってしまいました。 すでに60年も続いている学校制度であるのに、この程度のことで、個人の教師は困っているのです。組織力・情報力のなさ!個人任せ体質!なんとなく魂! 前出藤原氏は 「校長職が名誉職的、いわゆる『あがり』になっていて、指導・改革をしようとしない」 といった意味の発言をよくされています。 校長だけではないのです。学校関係者全体に「組織」という意識が働きにくい構造があります。自分たちが「組織」であるという意識がない限り、「情報」の流れはなかなかよくなりません。 私のようにどちらかというと個人主義大好きな人間でも、この業界の個人任せ体質には驚くべきものがあります。 そういった我々学校側が持つ弱点は、評価を導入することで、改善されていく可能性があると思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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