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カテゴリ:時事・世相
前回引用したアエラ2007.8.13-20号は1985年が岐路であったとしています。 確かに、あの頃、時代の空気は確実に変わっていました。急激な変化があったことを感じたのは、確かです。それについては、後述します。 でも、1985年だけが、象徴的な年であり、ターニングポイントであったわけではないという思いもあります。それ以前にも、それ以降にも、多分、象徴的な出来事は起こり、グラデーション(段階的推移)の末に、現在の「劣化」した社会の姿があるのだと思います。 たくさんの、象徴的な出来事はあったと思います。それは、三島由紀夫の自決であったり、ロッキード事件であったり、(アエラが取り上げた)日航機墜落事故であったり、オウムの地下鉄サリン事件であったり・・・・人それぞれに、ターニングポイントを感じているのではないでしょうか。 私も私なりの目で見、肌で感じた「劣化へのターニングポイント」を書いてみます。 「ちょっとだけよ:加藤茶」 タブーという音楽にあわせて、高視聴率番組として茶の間に流れる「8時だよ全員集合!」の中で、加藤茶がストリップをしていました。1973年あたりでしたでしょうか。子供たちにはバカウケ、PTAからは大顰蹙を買ったこのギャグは、ある意味象徴的だったのではないかと思っています。 タブーレス。TVという超マスメディアを通してのタブーへの挑戦は、何もこのギャグに始まったわけではないでしょう。『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』も、強烈だったように思います。しかし、「タブー」と言う曲に乗せてこのギャグがある意味、「市民権」たことは、を得たことは、事件だったのではないかと思います。 タブーレスはその後もどんどん続きます。TVで新聞で、タブーが壊れていく場面が次々に報道されていきます。 前回のエントリーから岡田斗司夫氏の言葉をもう一度引用します。 「勧善懲悪、努力と成長といった、それまでの既成概念に沿ったストーリーを壊すのが自分たちの正義だと思っていた。本当は、そういうものを壊したらダメだった。見終わった後、『明日も学校で頑張ろう』と思えるアニメを作らないといけなかった。」
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