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カテゴリ:時事・世相
日本人の劣化は、至るところでずいぶん前から進行していると思います。私の個人的な劣化の記憶。1978年の2つの事件に「ああ、ダメになっちゃったなあ」と劣化(当時から日本人の劣化というように言葉が使われていたわけではありません)が加速している事を感じました。一つは、江川事件、もう一つは、梅川事件です。 江川事件 この件については、過去にもエントリーをしました。法政大学法律家の学生が、読売という最大新聞社が、巨人という最大球団が、長嶋監督という最大の人気選手が、王貞治という最高選手が・・・この事件との関連をもちながらも、結局は状況に手を貸すか、押し黙ってしまったかという結果に終わってしまいました。 法律上、問題がなければ、これだけ世間の注目を浴びながらでも道義的には明らかに問題があることが通ってしまう・・・。マスコミの暴走が絡まった劇場的事件であったように思います。 この事件が世間に与えた影響の大きさははかりしれません。下記のようなエピソードも、因縁めいているというか、皮肉な事にというか。 明らかに現在の世相につながる象徴的な事件だったと思います。政治面ではロッキード事件が闇に葬られつつある中、正義の敗退が強く印象付けられました。翌1979年の校内暴力激化も、1980年以降のお笑いブーム(短小軽薄化)も、こうした世相の変容の中で始まった事ではないかと思います。
江川をめぐる因縁的エピソード 江川事件で巨人と阪神(1978年度に江川を指名)は江川と小林のトレードを行い、事態の収拾を図ります。悲劇のヒーローとなった小林の物まね(全然似ていない)をしていたのが、当時、売れ始めていた明石さんまでした。 翌年1979年は江川は世間とプロ野球界の反感を買い、叩かれます。トレード相手の小林は巨人を目の敵にして対巨人8勝0敗、22勝を挙げて最多勝をとる活躍をします。しかし、次年度からは江川が2年連続最多勝を獲得、1981年の巨人日本シリーズ制覇の大黒柱となります。1984年には、オールスターゲームで伝説の8連続奪三振。 「空白の一日」の直前に西武ライオンズが誕生し、1977年度に江川を指名したクラウンライターライオンズから「江川との交渉権」を得ています。奇しくも、江川は現役最後に日本シリーズで西武と対戦し、第三戦の敗戦投手になっています。そして西武はその年、巨人を下して日本一になっています。また、1983年の日本シリーズでも西武と当たっており、この時も江川は3試合に登板し、3試合目のリリーフ登板時には西武・金森にサヨナラ安打を打たれています。 おっと!Wikipediaによると、西武オーナーの堤義明(2005年証券取引法違反で逮捕)の媒酌人は、現首相福田康夫の父の福田赳夫(当時の首相)で、彼が西武の初代名誉会長に就任しています。堤義明と福田康夫はなんと高校の同級生! 福田赳夫は、この年の末に、田中派(角栄はロッキード事件での逮捕によって自民党を離党しながらも闇将軍として君臨=わけわからん)が支持する大平正芳に首相の座を明け渡している。 ちなみに、江川の出身校作新学院の理事長の船田元は田中派のプリンスだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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