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カテゴリ:教師について
年度末も近づいてきて、あちらこちらの係で年間の記録や報告の書類を作成しています。所詮はお役人(文科省や教育委員会等)の「こんなに仕事してます」というアリバイ作りに過ぎないような書類です。「人権研修しました、セクハラ研修しました、環境教育しました、情報モラル教育しました・・・・」 現場では、何だかんだ「やれ」というプレッシャーはいただくのですが、それに取り組む時間の補償や物的支援は本当に少ないです。物的支援として、やたらめったら冊子が届いたりしても、使い勝手が悪いことが多く、活用している暇もありません。人権・道徳関係の副読本が「心のノート」を含めて1人につき6冊あります。使い勝手もよくありません。本当に道徳を盛り上げて活気のある時間にしようと思ったら、自分で教材を探すか、作るか、です。 本当に情けないくらいに学校現場は情報の整理がされていません。 教科書に載っている項目に関してさえ、自分たちで教材を探していかなければなりません。 先日も水俣病に関する資料が必要になりました。 若手教員M 「redu06さん、社会5年の環境教育ってどうやったらいいですかね」 redu06「あー、水俣病とか?」 若手教員m 「水俣病って何でしたっけ」 redu06「えっ?社会の教科書に出てない?」 若手教員M「あー、これって、どこの事件でしたっけ」 redu06「ええっ!知らないの??熊本の・・・」 若手教員M「アーそういえば、なんとなく教えてもらったような」 redu06「猫が魚食べて死んでしまう映像、見たことないの?」 若手教員M「へー。知らないです。」 若手教員が水俣病に関する知識を持っていないことに驚きました。考えてみれば、Mの小学校5年生のときの担任がちゃんと教えていなければ、知らなくても仕方ありません。Mと彼のクラスの子どもたちのために、水俣病のことがよくわかる自前でNHKスペシャルをチェックしたビデオを貸してあげようと思ったのですが、ビデオを前任校でビデオを貸したまま返してもらっていないことに気づきました。現在の勤務校では水俣病に関する映像は全くなし。ネット上にも使えそうなものはありませんでした。 本当に、無策・無援の現場なのです。 何かを教えようとしても、それは個々の教員の良心と努力にゆだねられています。私も個人的に日々の授業を充実させようとするけれど、正直言って追いつきません。 行き当たりばったりで仕事をし、整理や蓄積のないまま、状況はますます混乱の方向へ。 ・・・なんとかしようと思っています。崇高なテーマのややこしい研修をする前に、毎日の授業を誠実に行える環境を整えていこうと思っています。
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