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2007年01月08日
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以前の学校の校長は、うちの父と同い年。

この校長先生に私は結構お世話になりました。(ご無沙汰していて申し訳なく思ってる今日この頃)私のキャラクターもあり、気軽に軽口をたたける感じでよく話をしていたのですが、ある時、その校長が言うのです。

「あんたのお父さんの話(歴史)をきちんと聞いておきなさい。それが子どもの役目だよ」

そのときは、ふーーん、そうかもしれないけど、そんな話改めて聞かないしなあ・・・

なんて思っていたのです。

でもね、一昨日、ご飯食べているときに、父がおもむろに自分の話をし始めました。まあ、昔からちょっとだけ知っていたけど詳しくは知らなかった話です。


父は終戦の年の3月に満州に母親に急に連れて行かれたらしいのです。中学生になる時だったということです。
父曰く、母親(私の亡くなった祖母)は「パッパラパーな人」で、まだ来るなって言う親戚の声も無視して満州に行ったらしい(^^;
この祖母は派手で、他にも破天荒なことをたくさんしていたので、父はずっと祖母のことを嫌っていたのでした。父が祖母のことを嫌いなのは知ってましたが、そういう理由かっていうのも今回わかった。ついでに、私のパッパラパーな性格はこの祖母譲りなのではないかと思えてきました(^^;;;

まあ、それはいいとして・・・

父はそのとき、地元ですごく優秀な学校に合格して入学が決まっていたらしいのですが、とるものもとりあえず満州へ。そんな祖母ですから、転校の手続きも何もしていなかったために、奉天の中学に入学もできなかったらしく、悔しい思いをしたのです。その後、父は家族と一緒に日本に帰ることを拒否し、一人で中国に残り、いろんな苦労して中国人や出会った日本人の家で世話になりながら、3年後に日本に帰ってきたということでした。帰国後も進学したくても環境が許さなかったようです。仕事もそのときの伝手を頼りに職人になったんだもんね。
他の仕事したかったんだろうな。勉強したかったらしいしな。それはずーーっと父の口癖でした。

ででで・・・やっぱり、そういう経験は、心に闇をもたらすようで、父のその後の人生は恨みやあきらめが多い人生だったんだもんね。家族との確執もそういうところにもあるんだろうな。進学に対しても全然協力的でなかったのも何となく頷ける気がしてきました。
大学進学に関して言えば、行かれなかった一番の理由は私が勉強しなかったことだけど、浪人や私立に行かせようとはしてくれなかったことに対して、私自身が少し恨みがましい気持ちがあったことは否定しません。父はずーーと心に闇を持って消化できずにいたんだな。私が父でもそうだったかもしれないなって思いました。

でもね、時代が違うかもしれないけど、私はあきらめないよ、お父さん。後悔だけして生きていくのは嫌だなって思うから・・・そこら辺が婆さまの血を継いでいるのかもしれません。
妹なんかからすると、かなり自分勝手な人ですからね・・・。でも、そんな父の思い、違う形でいいので、私が実現してみたいという気持ちになった夜でした。

校長先生、先生が言ってた意味がわかったような気がします。
ありがとうございました。








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最終更新日  2007年01月09日 01時19分54秒
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