学生稼業を終えてから、今日で9年。
働いていなかった期間を除けば、7年半ほどプログラマをやってきた。
しかし、どうにも勉強が進まない。
家では勉強できないというのは、何度も繰り返しているように高校時代から引きずっている
解決不能問題だ。
なので今は休む期間と割り切り、在宅勤務が終わる時に勉強にシフトすることにしたのだが。
今日の日記は、
2021/8/08の続きにあたる話だ。
問題はそれだけではない。先日この記事を読んで思ったが・・・
【「強いエンジニアは結局休日に勉強してるじゃん」って思うけど】
https://rabspice.hatenablog.com/entry/2022/03/28/000158
僕の場合、どんな勉強でも苦しんで頑張るしかない。
仕事自体は好きではあるんだが、それは仕事としての範囲内に限る。
休日まで時間使ってとなると、どんな形でも苦しい勉強になる。
結局のところ、技術よりも正論で物事が動くっていう部分が好きなんだろう。
論理が職場の上下関係を超えられる(ことがある)ってところが。
むしろ、そういう部分が無い仕事は僕にはできそうにない。
裏を返せば、ビジネスに興味が無いってわけでもある。
どんな物を提供してどう金を動かすか、そういう話が楽しいと思えない。
おかげでフリーランスも無理だ。営業ができない。
営業のできるパートナーを探すという手はあるかもしれないが。
「面接のみならず、書類作って求人に応募して面接に挑むという採用プロセスそれ自体がとんでもなく苦手である」ことがすでに判明しているが
おそらくこれも原因のひとつにはなるだろう。
入り込めさえすれば、持ち前の知性と学習能力で評価を稼ぐ手はあるのだが。
加えて、昔からの忘れ癖だ。
旅行の準備に例えるとわかりやすいが、どんなに周到に準備したつもりでも
出発直前、あるいは後になって必ず何か忘れていることに気づくのだ。
狙ってもいないのに、何かひとつ忘れている。
だが、学生の時点でプログラマを選んだこと自体は確実に正解だった。
この仕事でなければ海外に住むのは不可能、それだけで十分だ。
どう転んでも日本で働いて大金を稼ぐのは不可能だと、就職する前の時点でわかっていた。
僕が日本社会と相性が悪いのは、学生時代の経験をもって十分に実証できる。
金はあるに越したことはないので、海外に出て稼ぐ道があるのなら試してみたかった。
もちろんメインは相性の問題だが、カナダに来た理由のひとつではある。
つまり、
相性のいい場所と仕事の両方を同時に探す他に道がなく
最も可能性の高い選択肢として、この仕事を選んだというわけだ。
加えて、政治的、経済的、そして労働環境の面で、日本から出て行く理由があった。
特に後ろ2つは今さら説明するまでもないだろう。
ワーホリ上がりの時点ですら、前職より金銭的、時間的に有利な条件を得られた。
転職に成功すれば、ほぼ確実に給料は上がる。成功すればだが。
もうひとつ言えるのは、(コロナを除いては)
大きなミスや不測の事態があったわけでもない。
これでも取れる限り最善の選択肢を取ってきた。
可能な限りの勉強を重ね、永住権申請にたどり着くだけの職歴と英語力を手に入れ、
さらにワークビザ申請という綱渡りを乗り切るだけの運をつぎ込んで、それでなんとか生き延びていられる。
それくらいの不利な状況を、ここまで乗り越えてきたというわけだ。
しかし、問題はこれからだ。
新卒時は派遣同然の就職しかできず、カナダではワークビザと永住権を優先するしかなかった。
次の転職で、初めて能動的にキャリアを選ぶことができる。
転職に成功して、やっとキャリアのスタートラインに立つことができる。
ここまでに9年(足止めを除けば7年)もかかった。
日本の感覚では、あまりにも遅すぎるだろう。
この年齢からまた挑戦するなら、カナダの方がいい。その点でも来る意味はあった。
が、それはまた困難な挑戦になるだろう。
前述の通り、どうあっても苦しい勉強と、とてつもなく苦手な採用プロセスを乗り越えなければならない。
結局また前回の考え事のように、もはや
毎日が綱渡り状態っていう結論にたどり着くわけだ。
僕に凡人の道は残されていない。常人ではたどり着けない高みに達するか、最低限の生活すら成り立たないほどに落ちるか、そのどちらかしかない。
途中で金も仕事も尽きて人生を使い残すくらいなら、今のうちに少し無理して睡眠時間を削ってでも活動時間を増やす方がいい。
だから働き始めてからこっち、特にこの在宅勤務の2年間はそうしてきた。
目的が勉強であればコンディション維持も必要だが、楽しみ目的なら活動時間が多いに越したことはない。
さて、どうしたものか。
少なくとも間違いなく言えるのは、
勉強などせず遊び呆けていた方がまだいい人生だったとかいう終わり方は勘弁願いたい。
「70日間ヨーロッパ一周」と
「アメリカスポーツの優勝に現地で立ち会う」を達成した今となっては、言う資格も無いかもしれないけど。