今日の仕事では、
プレゼン会議に参加した。
といっても、話すのはほとんどボスだけど。
しかし、そういう時でも考えることはいくつもある。
いつの日か、自分が話し手を務める時のために。
自分ならどう話すかを考える。
まず、慣れないうちは、いや僕の場合は慣れても
原稿を用意するだろう。
全部は読まずとも、必要な時だけ確認しながら読めば大崩れはしない。
日本語環境でも同様にやる。
質まで問わないのなら、話を作ること自体はできていた。
フィリピン英語合宿やカナダに来たばかりの頃の学校では、何度かプレゼンで話し手側になったことがある。中には即興もあった(⇒
2016/2/26)。
かなり前なので、話を作る感覚も忘れている。
機会があればすぐに思い出せるといいのだが。
ただし最大の問題は、
聞き手から見てわかりやすい話を作れるかだ。
大学院時代から、ずっとこれに引っかかっている。
もちろん僕自身も、わかりやすい話になるよう考えてつもりだ。
だが、それで解決するのなら誰もこんな悩みは持たないだろう。
何をもってわかりやすい話となるのか、それを判断する根本的なところでの感覚が人と違うのでは
どれだけ考えて、どれだけ手を尽くしても欲しい結果にならない。
といっても、生まれ持った感覚だ。修正するのは不可能。
ならば残された手は
パターン分析しかなさそうだ。
どうすればわかりやすい話を作れるか、それをパターンとして分析し
極限まで感覚で作る部分を減らし、論理だけで話を組み立てる。
多分これしか方法はないような気がする。
ゲーマー方面に話を向けるなら、見ての通りゲーマーブログを
21年間やっている。
日記はフリージャンルだが、それに加えて
82本(現在連載中のSO6を含む)のプレイ記録を書いてきた。
さすがにこれだけ長くやってきたのだから、昔よりは読める文章を書けるようになった。これは間違いない。
自分用の思い出に書いた文章をおすそ分けする、という方向で書いてはいるのだが
もっと多くの人に読んでもらえるなら、それに越したことはない。
ってわけで、趣味方面でも文章の書き方には興味がある。
もっとも、長文を書くこと自体が時代に合わないという可能性もある。
今はゲーム方面といえば
動画の時代、ネットを探せば数限りない動画が転がっている。
というわけで以前考えたのだが、結論として動画は作る予定が無い。
動画は見るのにも時間がかかる。
その時間で自分でプレイしたいというのが理由だ。
ただ、僕の知らない
ハイテクニックを勉強するという目的でなら動画を見る意味は十分にある。
しかしその場合も、アクションならともかくRPGの場合は動画の強みがあまりない。
文章とスクリーンショットの方が、
時間あたりに得られる情報量は多いだろう。
こんなように、今日はブレゼンを作ること、文章を書くことについて考えてみた。