今日も相変わらず中国さまの日本製化粧品への嫌がらせのニュースをさっきテレビで見ました。返品にすごい形相で殺到したり、化粧品のビンを床に投げて割ったりなど、どうしてああいう極端な行動しかあそこの人はできないんですかね。悲しくなります。
で、まったく話は変わりますが、また昔の写真をスキャナーで読みこんでみました。20年前、1986年3月大学卒業直前に行った韓国旅行中に訪れた板門店(パンムンジョム)の写真をどうぞ。北朝鮮ネタはこことかここにも書いていますが、北朝鮮から行ったときの写真がどうしても見つからないので、韓国側から行ったときのものだけちょっとだけ紹介します。
このときはソウルで外国人のみ参加できる板門店ツアーに乗っていきました。ソウルから1時間余(とても近くに軍事境界線があるわけです)、バスはまず国連軍キャンプに到着し、いろいろ注意事項を聞かされます。北朝鮮側兵士に話しかけたり、微笑んだり、手を振ったりしてはいけないときつく言われた上で「当局は不測の事態が起こっても生命の保証はしない」という誓約書にサインします。このころはまだ冷戦時代ですので、南北の軍事境界線地域(=非武装地帯DMZといいます)に入るだけで独特の緊張感を覚えたことを今でも強く記憶しています。ラフな格好で行ってはいけないと事前に聞いていたので一張羅のジャケットにネクタイを締めて行きました。ちなみに上の写真は国連軍キャンプにある参加国の国旗。基本的に米軍中心で構成されていますので、実態はイコール米軍といってもいいと思われます。
これが休戦会談の行われる会議場です。建物の中央が国境にあたります。向こう側の白い建物は北朝鮮側。ここには97年に北朝鮮に行ったときに入って向こうから南の韓国側を見ましたが、韓国側から行ったこのときは、振り返って南側の建物を撮影するのは禁止、といわれていました。
会議場の中はこんな風になっています。机の左が韓国側、右が北朝鮮側。マイクのコードが国境になっています。警備の兵士は南側からの人ですが、その前に立ててある国連と北朝鮮の旗が、ある時期競争になって相手より高くしようとして天井を突き抜けそうになり、ばかばかしくなってやめたという逸話があります。ちなみに建物の外にいるのは北朝鮮軍の兵士。タバコを吸ってくつろいでいますが、北側にはこのときもすでに緊張感はあまりありませんでした。
北朝鮮側の兵士と目が合ってしまいましたが、小心者だったので思わず目をそらした記憶があります。
確か韓国側の見張り台だったかと思います。これの向こう側は北朝鮮です。国境付近では両側から宣伝放送を大音量でやりあっている時代でした。
国連軍の兵士がガイドになって説明しているところです。真ん中右寄りの橋が国境にあたります。確かこれは「ポプラ事件」というのが70年代にあって、橋のところにあったポプラの木を国連軍兵士が切ろうとしたら北側の兵士が突然やってきて南側兵士を殺傷したという事件を説明しているところだったと思われます。左側の塔のようなものがあるところは確か北側の宣伝用の村落だったかと思います。
また昔話になってしまいましたが、あまり多くの人が行かないところだと思いますのでお楽しみいただければ幸いです。ではまた。
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