|
テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:源義経
「安宅の関」の話は、とても感動的だった。
弁慶の白紙の勧進帳の読み上げ方、富樫の関守との羽黒山の 山伏修行(春・夏・秋・冬の峰)についての問答など、 迫力があってたいへん見ごたえがあるものだった。 その山伏のことについて少し、書きたい。 先週から義経主従は山伏に変装している。しかし、義経主従の中に 山伏の修行のことを知っていて、実際の山伏の経験のあるものは弁慶しかいない。 弁慶がいたからこそ 義経主従は山伏になりきってこの難局をのりきれたといえる。 さすがは弁慶という外はない。 弁慶は、比叡山の僧侶であったが、武蔵”坊”という名前から山伏ともいえる。 宗教的にくわしいことはわからないのだが、むかしから、僧侶と山伏との区別は あまりないようだ(密教系だけ?)。今でも寺の住職が山伏の姿で 祈祷をする姿はあちこちでみかけるので、特別、変なことではない。 さて 義経主従のふんする山伏だが、羽黒山の山伏か?熊野の山伏か? 個人的に気になった。 ドラマで、弁慶は 山伏にふんしながらも自分自身を比叡山の僧侶と名のっている。 「義経記」には、 ”(もし、義経主従が途中で山伏でないという疑いをかけられたら、) 越後の直江津までは、羽黒の山伏が熊野に下向してきたこととしよう。 直江津から先は 熊野の山伏が羽黒に修行に参るところであると言おう。” というやりとりがあるので、両方の山伏にふんしたと思う。 予断だが、ドラマでは義経が弁慶にうたれるシーンは、安宅であったが、 ”義経記”では直江津でのことになっている。 出羽の国では、今の時期 羽黒山の山伏の人たちが 家内安全、無病息災を願って 各集落を、歩いてまわる(まつの勧進)。法螺貝を吹き、訪れた家々では賽銭をおさめてお札(おふだ)をもらう。 法螺貝は家の玄関口で吹かれるので家中に響きわたる。年末のこの時期の風物詩でもある。 出羽の国では山伏さんはとても身近な存在なのだ。 今年のはじめに 山伏のドキュメンタリー映画をみたときに書いたが、 山伏の修行は他言厳禁の規律であり、その内容も厳しいといわれる。 山伏やその修行は、羽黒山にしか残っていない大変、貴重な文化である、 と同時に義経の時代のものと変わらないものが現在も残っていて 見ることができるというのはとても幸せなことだとも思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年11月29日 23時44分20秒
[源義経] カテゴリの最新記事
|