野宮(ノノミヤ)
神さびた土地、野々宮。斎宮に決まった娘(後の秋好中宮)とともに伊勢下向の前に、六条御息所(ロクジョウノミヤスンドコロ)が滞在した地として知られる。 能「野宮」はそうした物語を背景に、六条御息所の霊が現れる。 正直言ってこの曲は好きではない。この曲だけの公演ならば観ない。能の愛好家から見たら怒られるかもしれないが、『源氏物語』を扱う曲では「須磨源氏」以外これという曲がない。ちょっと極端な物言いだが、これが1番というほど好きな曲がないだから本当の能好きではないのだ←威張ることではない)。 「野宮」はそれまでの光源氏への妄執を断ち切って旅立とうとした地を場面とし、御息所が霊としてそこに登場する。ということは、この霊が現れるのは、断ち切ってなお執心があってのことだろうと解釈できる。しかし、そういう詞章に現れない『源氏物語』の積み重ねがちっとも伝わってこないのである。おそらく役者さんたちは『源氏物語』を読み込んでいるだろうけれど、およそそういう背景を背負って出てくる六条御息所に出会ったためしがない。 今回のシテは関根祥人さん。御息所らしい品格とか、線のぶれない美しさは先日拝見した同曲とは違って目を引く。上手いなぁ、と思う。秋の野々宮を描く囃子に乗って闇の社を浮かび上がらせるあたりがゾクゾクさせられる。ただ、そういう妄執の果てに、というイメージは今回も感じられなかった。 まぁ、そんなことはさておき『源氏物語』の舞台となる五条・六条辺りがちょっと気になっている自分としては(勿論本曲の場面に六条は出ない)、いつも以上に興味深く観られる。今年はあと1回観る予定だが、さてどうなるだろうか。