けつの穴が小さい
私は、川柳発祥250年を川柳に関わる総ての方々と祝おう、という企画を、3年前か
ら少しづつ周囲に賛同を求めてきた。
川柳が立机し、第一回の開キが行われた宝暦7年8月25日から数え、来年の8月25日
で満250周年を迎える。
川柳という文芸の濫觴から、250年という記念すべき日を迎えるのだ。
川柳に関わり、川柳を楽しんでいる我々にとって、またとない祝祭日であり、また、
これを契機に、川柳を外へ発信する大きな契機になる。
まず、日川協の理事長であった方に、一昨年の夏、「再来年は…」と、情報を耳に入
れた。
今年の1月には、日川協の会長に直接お目にかかり、250年の重要性を説き、協力を要
請した。
さらに、今年の2月には、日川協の総会で、意見として250年に関する事業を提案し
た。この時に会長は、まったく消極的で、とり合うことをしようとしなかったが、執
拗な重要性の提起に、6月の理事会に付託して討論すると対応が決まった。
して、6月の理事会では…。東西の日川協常任幹事会で討議した結果、盛り上がりに
欠けたので、理事会では議題にも上がらなかったという。理事会とは、指導力を発揮
して、ものの重要性を判断するところではないのか? 低次元の常任幹事会で盛り上
がらなかったなら、トップダウンでの判断もあったのではなかろうか。
本日、日川協の内部の方から「日川協ないぶでいわれているように新葉館出版のペー
スで行うのは如何なものか」という手紙をいただいた。
そうか! 日川協は、新葉館出版が商売ベースでこの250年の企画を行なおうと決め
付けていたのか。
私は、日川協のけつの穴の小ささに唖然とした。
たとえ、新葉館出版が提案したことであれ、良いことを支援するのは、是であろう。
新葉館出版の本に掲載された川柳発祥250年を祝おうという呼びかけ広告が、「新葉
館出版のペース」などと感じさせたのかもしれないが、あれは、私の提案に新葉館出
版が賛同し、無料で広告スペースを提供してくれたものだ。新葉館出版は、単に川柳
発祥250年祭の企画に賛同しているだけで、何の意図もない。「川柳を広めたい」と
いう互いの理念が、川柳発祥250年祭をやるべきであろうと一致したにすぎない。
あそこで主張したことは、川柳に関わるニンゲンが、川柳発祥250年という共通の祝
事に協力して盛上げようじゃないかという提案である。
新葉館出版のペースで云々などというちっぽけなこと、しかも根も葉もないことで、
それに腰を引くような日川協は、いったい川柳を広めるために何をやってきたのであ
ろうか。
これからでも遅くない。川柳発祥250年という記念すべき年に、普段の付き合いや利
害を離れて、川柳にかかわる人々が一致団結して、川柳の存在を、250年の歴史を、
そして、今日の川柳の楽しみを、胸を張って高らかに発信しようではないか。
日川協は、その指導的役割を果たす責任がある。
どうか、川柳に関わるみなさん、川柳発祥250年の祝を成功させ、川柳を外に向かっ
て訴えるのに力を貸してください。