川柳発祥250年
2007年は川柳発祥250年 「川柳の祭典」を盛上げよう 現在、私たちが受け継いでいる「川柳」という文芸の名称は、明治以降に固定したものですが、その元となったのが、柄井八右衛門という人の俳名「川柳」で、その名が世に現れてから、来年でちょうど二百五十年になります。この八右衛門という人は、江戸は浅草新堀端(現台東区蔵前五丁目)に現存する天台宗龍宝寺門前の名主で、宝暦七年(一七五七)四十歳の折に、前句附という附合い文芸の宗匠となり、号を「川柳」と称し、八月二十五日はじめて万句合(一種の懸賞募集)を開始いたしました。 この川柳宗匠の選んだ句が「川柳点」と呼ばれ、独特の面白さが江戸中の評判となります。さらに、これが『誹風柳多留』という選集となり、ベストセラーになったことから、川柳の名はいよいよ高まり、その文芸は、黄表紙や洒落本などとともに江戸文学の一角に伝統文芸としての地位を占めることになりました。現在でもひとびとが思い浮かべるような人口に膾炙した句をたくさん残した川柳の点業は三十三年間、その間『誹風柳多留』は二十四篇に及びましたが、これが現在なお隆盛にある川柳文芸の原点となりました。それからさまざまの経緯はありましたが、明治の改革期を経て近代化、その始祖の号をそのまま文芸名として今日に至ったのが川柳の歴史です。 というわけで、川柳発祥二百五十年の節目にあたる平成十九年八月には、この伝統文芸が経て来た長い道のりに思いをいたし、ひいては将来にわたっての発展を願って、いろいろなイベントが企画され、現在準備が進行中です。関係者多数の参加が期待されます。