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カテゴリ:こころ
皆様、内観法ってご存知でしょうか。(ご存知ない方は、ぐぐってみてくださいねー)私はこれ、中学生ぐらいの時に知ったんだけど、今までどうもピンと来たことがなくて。今やっと、機が熟したという感じで、やってみることに決めました。
なぜ今になって内観法がピンと来たか。それは「ありがとう」をやっていて、内観に通じるものを感じたから。内観法は主に両親に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」をひたすら缶詰め状態で書き綴りまくり地獄!的な自己啓発法なわけですが、その最終目的は「感謝の念を感じられるようになること」・・・あ、ありがとうと同じじゃん!私の行きたい方角、こっちだよね? しかし気になる点としては、上記3つの赤字項目以前に、私としては不平不満罵詈雑言の方が山のようにあって、悪いけどそれを置いといて感謝の気持ちになんかとてもじゃないけど辿り着けない感じー?ふざけんなよ!ぐらいの勢いです。感謝してる場合じゃないわけなんです。 そりゃね、頭では分かりますよ。数限りなく色々してもらって、自分ではほとんど何も返してない。迷惑もかけまくり。そうだよね、ありがたいね、はいはいありがたいよ。でも腹の底からは全然ありがたいなんて思えない。これはつまり、顕在意識(アタマ)がどう頑張ろうともビクともしないほど、潜在意識(ハラ)の方にトラウマの数々がスモーキーマウンテンの如く山積しているということに違いないわけです。 その人にとっての現実というものを創り出している部分が主に潜在意識だと思われる以上、この山積したゴミは非常に邪魔です。捨てちゃいたい。すっきりしたい。もう私の幸せを邪魔しないでほしい。でも通常の内観法で、果たしてこの恨みつらみ不平不満罵詈雑言を捨て去れるのか・・・?なんとなく、ちょっと私には無理そうな気がしてたのです。 だってさ、頭じゃ分かってるんだもの。いまさら親がどうこうでもないでしょ、27歳なんだし、って思ってる。でもハラの底の方に「それじゃー納得できないよ~」と泣き叫んでる子がいるわけです。普段は忘れて暮らしてても、ちょっと調子が低迷した途端、煮えたぎる怒りに眠れなくなること度々。そこにただ「頭じゃ分かってること」を上塗りしたって「そんなの分かってるけど受け入れたくないんだもん!」の子が余計反発するだけな気がしたの。えーとあれね、タバコがやめられなくて困ってる人に、真っ黒な肺の写真とか見せて「ほ~らこんなに」とかやるのと同じです。いわゆるザ・逆効果。(その手の方法でうまく行く人はわりと軽症なタイプだと思う、何事も。つまり顕在意識が勝てる程度のレベル)分かっちゃいるけどやめられない自分を責めてしまうか、嫌いになってしまうか、そんな気がしてね。 ・・・やっぱり内観法は無理かなー、ありがとうありがとうでマイルドに当たり障りなく進んでいった方がいいかしらー、なんて思いながら調べていたら、ちょっと違うバージョンの内観法を見つけました。記述式内観というやつ。これはねー、通常の内観法の項目と並んで「不平不満」の方もどんどんどんどん書いていくらしいの。同時進行、なのかな?詳しくは分かんないけど。何だかねー、これなら行けるかも、という感じがします。 私の腹の底に煮えたぎる怒りがいつも眠っているということは、つまり私の人生が煮えたぎる怒りに支配されているということ。イヤー!でも本当にそうだと思う。私の人生「なんでこんなことに!」と怒りたくなるようなことが、年々パワーアップして起き続けている。煮えたぎってる人を何とかしてあげない限り、同じような状況を呼び寄せ続けるだけだと思うのよね。もしくは、うまいこと抑圧し続けた場合・・・ガンになるだろうねー、これは多分。ありがちありがち。あー私ものすごいそういうタイプ!このままじゃガンまっしぐらだわ! というわけで内臓をクリーンに、いやいや潜在意識をクリーンにすべく、ちょっと旅立ってみようと思ってます。内観の国へ。そろそろ「趣味は自己啓発」とか開き直った方がいいかしら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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