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カテゴリ:こころ
たまに昔の自分のブログ記事を読み返すと
今の文章より格段に味があって面白くて あの頃の私はどこ行っちゃったのかしら もう帰ってこないのかしらー! と切なくなったりしつつ 文章というのはナマモノで 意識してどうこうできるものでもないので 半ば諦めておりました。 がっ たぶん帰ってきたみたい、あたしー。 あ、なんか帰ってきたかも、と思ったのは島に滞在中のことでした。 別に文章書いてたわけじゃないけど 頭の中がふと「元の自分」に切り替わった音が聞こえたような。 私の感性、みたいなものがどっかに行ってしまったのは 最初の出産が機だったと思うのだけど それは多分、予想していたのと180度違って 子育て・・・いや単に子供と一緒に暮らす、ということが 私にとって大変に困難なことだったため 瀕死のアワアワ状態になった私は 何かを楽しむ、とか感性がどうこう、とか投げ捨てて ただひたすらに、がむしゃらに とにかく現状脱出をせねば! このままでいたら親子ともども死んでしまう! と、何だか一直線な感じに 出口を目指す生活に入ってしまったためだと思われます。 そういえば妊娠中、ある人が 「産後2年ぐらいは誰でも頭がおかしくなるものだから ちょっとぐらい死にそうな感じになっても気にしないこと」(大幅に意訳) 的なことを言ってたけど、本当だわ・・・。 私の場合3年かかりましたけど! 子を産む前の私は 一部病的に神経質な部分もありつつ 大部分は激しくぐうたらでいい加減で下品で でもそんなあたしが結構好き みたいな感じだったんですが 産んだ途端、あまりに恐ろしく不幸になってしまったため 私のどこがそんなにいけなかったの・・・ どうしたら大丈夫になれるの・・・ と、かなり弱気になってしまい 自分の諸々の「欠点」を「改善」しないことには不幸を脱出できないに違いない!と わっしょいわっしょい目指せ脱出!と とにかく「幸せの方向」を目指して常にダッシュしているような生活で でもこの世の常として 何かを目指すと、その何かはどんどん逃げていくわけなのです・・・。 ということを、繰り返し学ばされたこの数年。 不幸で困ってるんだから、幸福を目指せばいいと思うでしょ? で、じゃあ幸せそうな人を見て色々参考にしようとか思うわけ。 すると皆さん、ああすればいいとか、こうすればいいとか 一見かなりもっともなことをおっしゃるので なるほどね!と色々やってみるのだけど 残念なことに、他人の幸福からは何も学べないって気付いたわー。 だってそれは自分じゃないんだもの、って当たり前か。 私は常々、何かを目指すことによる幸せ、じゃなくて 自分の中を深く深く潜っていくことによる幸せ、 が欲しいと思っていたのだけど その「潜り方」については他人から学ぶこともできるだろう と思ってさ、一生懸命学ぼうとしたわけよ。 でもなんかそれってやっぱり違ったみたい。 私の欲しい幸せが、あらゆる「観念」を取っ払って そこに残るであろう「素の自分」である以上 他の人が語るどんな方法論も それがどんなに有用なものであろうと 私にとって、新たな「観念」を植え付ける結果になってしまう という大いなる矛盾! 18歳の時にOSHOの本を読んで、その面白すぎる世界観に感動しつつ しかし彼の言う「悟りを求めていたら悟れない」的な話に じゃーどうすればいいわけ!どうしようもないじゃん! 実際のところアンタはどうやって悟ったのか、いいから簡潔に説明しなさいよ! と半ばキレ気味にもなったのを覚えているが その後 いい骨盤になってやろうと意識したら→むしろ骨盤が緊張し まともに子を育てようと意識したら→むしろ子育てが大変なことになり という経験を経て さらに今回の 幸福になろうと意識したら→むしろ真逆の方向に向かい というのを踏まえたら 彼の言っていることが本当によく分かりました! 目指したら、逃げていくのね何事も(一句) そんなこんなを経て すっごい色々大変だったけど 結構収穫だったなーと思うのは 18歳の頃の私には OSHOの言うことが理屈としては分かっても じゃあどうすりゃいいの!と本当にワケわかめだったのに対し 今は何と言うか どうもしなくていいんだ、と平安な心境で受け止められるのです。 欲望が人間をあさっての方向に向かわせる、ことは分かっても 欲望を消すことなんてできないじゃん!と思ってたのですが なんのなんの、別に消したりなんかしなくて良くて むしろ私が経験してきた通り いったん極限まで欲望を突っ走らせてみればいいのです! そうしたら疲労して、おまけに結果にも絶望して 自然と「あ、もういいや」ってなるから。 筋肉だっていったん力を入れないと 本当に脱力する、ということができないように・・・。 18歳の頃から悟りの境地を夢見てきた私ですが どうやら結果を急ぎすぎていたというか 欲望を突っ走らせもしないうちから 欲望を消してしまうにはどうしたらいいか? なんて、いらん思案をしていたみたいで なんか、あ、話長くなってるけど まだついて来てる人います? いつもすいませんねー。 脳内の思考を簡潔に文章化するのがどうも下手で。 思考って脳内では言語じゃなくてカタマリ状なのでもっとコンパクトなんですけどね。 何だかんだ話が右往左往したわけですが この数年の心身魂の危機!を乗り越えて思うことは 要するにありのままでいいんじゃーん に尽きるかなー。 突っ走る欲望は突っ走るままに! 神経質な自分も下品な自分もいい加減な自分もそのままに! どっこも改善しようなんて思わずひたすら生きろ! という、 えーと結局は 言葉にしちゃうと 昔から持っていた信念と全然変わらないのですが でもいったん激しく遠回りをして帰ってきた分 同じ「ありのまま」も、より深みを増した「ありのまま」 なんですよー自分の中で。 その肝心な深みの部分というのが 残念ながら全く言葉にできないのがほんとに残念よ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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