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お墓で New! mamadocterさん

2009.04.08
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カテゴリ:こころ
「不幸が好き!?」は去年から何となく温めていた話なんだけど、
実際のところ、人生全体がドス黒く悩みだらけ、という人だけでなく
基本的には幸せだけど、時々不幸な事件が勃発・・・という人にも
ぜひとも噛み締めてみてほしい内容。

「ぜんぶ自分だったんだ・・・」

頭では分かったつもりだったこの事実を、少しずつ深いところまで、
それこそ「ハラで」分かるに従って、私の人生、楽になってきた。

つい最近になって新たに分かったこともある。
自分の人生の中で「これはどういう意味なんだろう?」と分からなかった部分、
それが2つ、ハッと分かったのよ。
その2つに気付いた勢いもあって、昨日やっと「不幸が好き!?」の話をアップした。




さてその2つ、1つめは自殺について。

わりと最近、友達が自殺した。
すごくショックだったし、残された子供たちを思って胸が痛んだけども、
私の世界に起きることは、全て私の思考の結果・・・
じゃあ友達の自殺は、私のどんな思考の結果なんだろう?と考えていた。

実は昔から私は「自殺に縁のある女」だった。

子供の頃は実家の裏山で首吊り死体を発見してしまい、
数年後には近所のおばさんが焼身自殺し、
買い物に行けばマンションから飛び降りホヤホヤの肉片スペシャルを目撃し
駅に行けば真っ二つに分断されたおじさんが線路上に・・・
さらに数年前には友達(今回とは別ね)も自殺している。

さすがに自分でも、何なのこれは!?と思っていた。
ここ数年は何もなかったので、ちょっと安心していた。
そこにまた、今回の友人の件。
あ、まだ私の中に何か終わってないパターンがあるな、と思った。
が、それが何なのか分かるのに、しばらくかかった。

・・・結論としてはね。
単に「悲惨なことが好き」それだけだったのよね~。
こんなのあっけらかんと書いちゃうと、関係者の皆様に申し訳ないような気もするけど、
でも大事なことだと思うので、書いちゃう。

私自身が悲惨な人生を生きることはやめた、つもりでも
まだ「友達が自殺した」という悲惨な出来事を、悲惨だ悲惨だ~と動揺することに
奥底の方で何かしら快感を見出している私がいた。

もちろん私の思考のせいで友達が死んだ、とかいうことではないよ。
私がいようがいまいが、友達は死んだだろう。
ただ「自殺する友達」を引き寄せたのは私、そういうことだ。

ああ、今気付いたけど、上で「ホヤホヤ肉片スペシャル」とか書きながら
私ちょっとウキウキしてたもん!!
まだ終わってないな!!

いやー、ウキウキとか快感とか言うとかなり語弊があるんだけど、何ですかね、
皆様も悲惨な話を耳にした時、なんかこう、
悲しくて怖いんだけど何となく血沸き肉躍るような・・・そんな感覚ないでしょうか。
まあ事故現場に集まる野次馬的な心理だよね、多分。

うわー悲惨!怖い!悲しい!イヤだー!と大騒ぎしている時、
みんな意識しないけど、そこに一種の快感があるのよね。
何かこう、盛り上がるでしょ、ネガティブ方面にだけど。
どうせなら楽しいことで盛り上がればいいのにね。

今回の友人の死について、共通の友人たちと話したりしているうちに
「なーんだ」がやってきた。
そっか、私はまだこのウキウキエネルギーを、悲惨な方に向けたい部分が少しあるんだなーと。

友人については、ほんとに心からご冥福をお祈りします。
私もう、こういうのやめようと思うよ。気付かせてくれてありがと。




そしてもう一件。こんどは前世の話。

私には子供の頃から、ふとした瞬間に何度も脳裏に浮かぶ光景があった。
それは「我が子が目の前で猛獣に食われ、泣き叫ぶ自分」という映像。
このブログにも何度か書いたことがあると思う。

子供の頃の自分には当然我が子なんていないわけで、
そういうシーンを映画か何かで見た覚えもないわけで、
じゃあこれは前世の記憶かな、とずっと思っていた。

とにかくそれが思い浮かぶ度、どうしようもない、言葉にならない悲しみと怒り、恐怖で
私はいつも震え上がっていたのだった。

そして更に、私はずっと「我が子を失う」ということをひどく恐れていた。
子供が亡くなるニュースを見れば激しく動揺し、ほとんどパニック。
(おかげでニュースを見ない人になった)
自分の子供が死んでしまったらどうしようと、それこそ子供を持つ前から
不安で不安で仕方なかった。

実は本当につい最近まで、この件は私の中で問題になっていた。
どうしても手放せないこの不安、やけに気になってしまう「子供を失う」というネタ。
考えまいと思えば思うほど考えてしまって、どうしたらいいのか分からない。
ここ最近は「とにかくそのうち理由が分かるだろうから、放っておこう」と思っていた。

でも分かりましたよ!
これも自殺の件と同じ「悲惨なことが好き」・・・それだけだったのだ。

嫌だ嫌だ、怖くてどうすればいいか分からない、と言いながら
しっかりそこに焦点を当てていた私。
子供の頃から波乱万丈な悲劇を好み、自分の人生を悲惨でいっぱいにして、
挙句にやっとその仕組みに気付いて手放した・・・つもりだったけど
まだまだ細かい所は残っていた模様。

子供を失う、なんてことは、悲惨の極みだろう。
恐らくこの世に存在する悲劇の中で、最大級のもの。

私の表層意識はそれを恐れ、否定し、忌み嫌っていたけど
潜在意識はまだ自動操縦で「悲惨なことが好き」をやっていた。
その悲惨の行き着く末、もうこれ以上はないだろう、という所が「子供の死」だったのだ。

ニュースで子供を失った親たちを見ては
「辛いだろうな~。ありえないぐらい辛いだろうな~。それでも生きてて、すげー」
なんて思っていた私。自分は絶対にそうなりたくないと思っていた。
でも潜在意識は!潜在意識の狙ってた末路はそこですよ!あっぶねー!

前世が本当にあるのかどうかは、分からない。
あの映像は前世かもしれないし、単なる私の妄想かもしれない。
でも実は、どちらにしても同じことだ。
私の思考が生み出したものなんだから。

今回はかなり書きにくいネタを書かせていただきました。2つとも。
でも気付けてよかった、本当に。

人生全体のでっかい不幸スパイラルからは抜けても、細かい点は色々残ってるんだよね~。
というか、細かいのすら1個もなくなったら、それこそ悟りの境地だろう。
これからも何か要らんもんを見つけたら、さくっと放り捨てておこうと思います。





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最終更新日  2009.04.09 13:47:42
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