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カテゴリ:こころ
私が愛だと思ってたものは
二元性の一方の端の 寂しさとか痛みとかの対極に位置するもので その高揚を求める限りは何度でも 寂しさとか痛みのどん底に叩きつけられるしかないのかもしれない。 ちょうど麻薬のようなものかもしれない。 2つの極とは別のとこにある、 いつもそこらじゅうに満ちている、空気のような でもまったく意に介してこなかった、見ようともしなかった「あれ」が もしかして愛なんじゃないかと ハートが感じ取った瞬間、痛みは溶けている・・・ ここしばらく、いくつかのカタチで、いくつかの深さと理解で、 この体験をしている。 一瞬のは何度か。 おとといと昨日は数時間ずつ、 ハートはその「愛かもしれない」ところにとどまっていた。 この前のさっつんさんのメールリーディング、 全体的にびっくりする内容だったんだけど いくつか意味が分からないところがあった。 それがその、愛かもしれないハートで読んだら すっかり意味が分かってしまった・・・ 特にこれ 「そして最も最上級に受け入れたくないもの 七、過去の自分を誇ること」 ・・・過去の自分を誇ってるつもりはなかった。 全くピンと来なかった。 でも、そう、 私が「私」だと思ってるもの、この人格、こそが あらゆる「過去」の積み重ね、ぜんぜん生きてなんかいないもの、 アタマの中にしか存在しない死んだもの、だったのね! 過去を誇るって、何も「昔はスゴかったんだぜイェ~イ」 みたいな話じゃなく 今この瞬間にも 偽の自分 私だと思ってるマボロシ 膨大な過去のガラクタ そこに寄りかかってることそのもの を指してたんじゃないかと思うの・・・! 今、わりと放心状態です。 今まで握り締めてきたもの、全部いらないのかもしれないって もうどこかで分かってしまったけど、まだ執着してたい自分がいる。 最後に、「この日記は全部ウソぴょ~ん」と付け加えておきます。 だって言葉にしたら全部ウソくさいんだもん、わはは! というか、アタマの私に分かった気にさせちゃったら いい気になるだけだからね・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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