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カテゴリ:こころ
たまにオンラインでOSHO禅タロットを引くんだけど、
昨日の朝ふと引いた時、出たカードは「祝祭」だった。 そんなこともすっかり忘れた午後。。。 ものすごく幸せな体験をした。 今生、生まれてきて、何よりこれが味わいたかったんだ! というくらいの。 ある意味、いちばんの夢というか切望が叶ったような出来事。 その余韻はしばらく続いて、でも 同時にそこに執着して、この幸せ感をキープしたい! と思ってる自分にも気付いた。 これがいつも幸せをぶち壊してきたんだよね。 何度も何度も。 幸せ、ぎゅうぎゅう握り締めすぎて粉々、みたいな。 だから力を抜いて、ただありがとう、嬉しいなーって味わうことにしてみた。 幸せが弱まっていっても、それはそれで、追いかけずに。 思い出してありがたく味わうことなら、いつでもできるしね。 そしてその体験は、頭で考えるとかなり不安になるようなものでもあったんだけど そんな時にふと、朝のカードを思い出した。 ああそっか、、祝祭。 不安にならなくていいんだ、ヨロコビに浸っていていいんだ、 と背中を押してもらったような気持ちになった。 そして夜、またタロットを引き直してみた。 この体験について、もう一度知りたいと思って。 すると出たカードは「トラベリング」 ========================================================================= 生はつねに、つねに、連続したものだ。それは最後の目的地に向かって進んで行くのではない。巡礼そのもの、旅そのものが生なのだ。どこかの地点に行き着こうとしているのではなく、ゴールはなく??ただ踊りながら、巡礼の内にあって、どんな目的地も気にせずに楽しく進んで行く??。 目的地にたどり着いたところで、あなたはなにをしようというのかね? これまで誰もこんなことをたずねた者はいない。誰もが生に目的地を設けようとしているからだ。 だが、それが暗に意味するのは……。 もし、あなたがほんとうに生の目的地に着いたとしても、そのあとは? あなたはとても困ってしまうだろう。どこにも行くところがない……あなたは最後の目的地に着いてしまったのだ??しかも、その旅の途中で、あらゆるものを失ってしまった。だから、あなたは最後の目的地に丸裸で立ち、まるで馬鹿のようにあらゆるところを見回すことになる。いったいなんだったのだ、と。あなたは必死になって急いでいたし、次々と心労が絶えなかった。それなのに、その結果がこれなのだ。 Osho Rinzai: Master of the Irrational Chapter 7 解説: この素晴らしい風景をぬって道を歩む小さな人影は、ゴールのことなど気にしていません。彼、あるいは彼女は、旅そのものがゴール、巡礼そのものが聖地だということを知っています。道を歩む一歩一歩、それ自体が大切なのです。リーディングでこのカードが現われたら、動きと変化の時期を示しています。それは、ある場所から次の場所への物理的な動きかもしれませんし、ひとつの在り方から別の在り方への内なる動きということもあるでしょう。しかし、どんな場合でも、進むのはたやすく、冒険し、成長しているという感触がもたらされることをこのカードは約束しています。余計な苦労や計画は必要ありません。この「トラベリング」カードは、新しいものを受け容れ、抱擁することを思い出せてくれます。ちょうど、私たちが日頃慣れ親しんでいるものとは違った文化や環境をもつ別の国を旅しているときのように??。開き、そして受け容れるというこの姿勢は、私たちの生に新しい友人と体験を招き入れます。 ========================================================================= いやー、これもまた納得な感じ。 ある意味私にとってゴールだった体験をしてしまったので 「これ味わっちゃったら、もう死んでもいいな」と思ったし これ以上何を求めて生きてたらいいんだろう、みたいな虚しさもちょっと感じたの。 延々、あの同じ体験を求めて生きてくのも何か違うしねー。 (それはそれで求めると思うけどw) あれもまた過ぎ去るんだ、さあ今度はどこ行こう、みたいな。 そんな感じが非常によく現れてるカードだと思いましたですよ。。 そして、そっか、動きと変化の時期なのね。 たぶん内面的な変化、在り方の変化だろうなぁ。。。 OSHO禅タロット、いつもオンラインだけど 先日人様のおうちで実物を触らせてもらって、 やっぱりカタチあるものはいいなぁ、とも思ったので、購入検討中。
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