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カテゴリ:生活
アベシンゾーよ、年金問題に幕を引こうとしても無理だ。頼むから国民感情を逆撫でするようなパフォーマンスはやめてもらいたい。
だいたい社会保険事務所(年金相談コーナー)で確認できるのはせいぜい1日数百人程度。だから100日つまり4ヶ月たっても数万人程度なのだ。ましてや選挙まで1ヶ月。1ヶ月で確認できるのは、一箇所につき1万人程度に過ぎない。 東京でさえ年金相談コーナーは30箇所程度。全国では千数百箇所程度だ。結局、選挙までに確認できるのは1千数百万人程度だから正社員の数(3千5百万人)にさえ遠く及ばない。 しかも時間が経てば経つほど犠牲者の累計は増えていく。おまけに職員の対応の悪さがアタマに来たりするのだから始末が悪い。 アベシンゾーだから庶民の気持ちがわからないかもしれない。 パフォーマンスのタチの悪さは、事態の深刻さを飲み込めていない点にある。庶民は真剣。なにしろ老後がかかっているのだ。庶民は庶民で、老後をどうやって生きていこうか悩んでいるのだよ。 アベシンゾーには70万円は意味ないことだろう。が、庶民は40年間働いて保険料を納めてもらえる国民年金がやっと80万円にすぎないのだ。 月ではなく、年に80万円しかないんだぜ! 40年という歳月の途方もなさと80万円という額に象徴される恵まれない境遇。これこそがアベシンゾーのパフォーマンスが怒りを誘う原因だ。 しかも国民年金の満額が80万円にしかならないという事実に唖然とするひとも多いに違いない。だから要するにパンドラの箱は空いてしまったのだ。 思うに、もともと年金は戦時中に戦費調達のためにはじまった制度だ。だから戦費として使われる運命にあった。戦後になったからといって年金に対する政治家や役人の意識が急に変わる訳がない。 その結果、浪費体質は改まらないままに、やがて年金財政は逼迫し、昭和61年に改悪して給付を一律5%カットしたりした。 また、少子高齢化はずっと前に予想できたのに役所主義で対応を怠ってきた。 保険料UPが限界に達すると見るやいなや保険料を一定にする代わりにあっと驚く給付を減らす仕組みに変えたのである。 年金の破綻はまぬかれたとか称しているが実はこれは詐欺ではないか。 自民党と官僚は結託して、いかに問題を顕在化させないで、われわれの目をごまかすかに腐心してきたのだ。 こうして見ていくと今回の年金問題は、そうした国民を馬鹿にした政治と行政の延長線上にあるのだとわかる。 自民党と官僚の癒着を断ち切って、だれもが安心して老後を任せられる年金制度を再構築しなくては。 文字通り再構築である。 国になるべく裁量を与えない、庶民でもわかるシンプルな制度ということで、ベーシックインカム(by リバタリアン)だっていいと思っている。まずは議論をはじめなくてはならない。 そのためには、馬鹿みたいに国会で強行採決を繰り返す、議会政治が何たるかがわかっていないアリバイ主義者、アベシンゾーの内閣を潰さなくては。 アベシンゾーにとって国家はどうやら生命を捧げるべき崇高な存在であって、寝ても醒めても国家のことばかりしか考えられないらしい。 庶民の生活なんて、しぼれるだけしぼりとるだけくらいにしか考えてなくて、それが証拠にいつだって強いモノの味方だったでしょう? 美しい国は、美しい老後など保障してくれないのだわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 30, 2007 12:14:21 AM
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