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カテゴリ:歳時記
禁を破って出てきました。叫びです。
昨日、河合隼雄が亡くなった。学校の先輩でもあったし、こころの師でもあった。人生の早い段階で、先生が著した「ユング心理学入門」(培風館)に出会って、ものの考え方に大きな影響を受けた。たとえば、シンクロニシティ。 星座(コンスティレーション=附置)を構成する星は、見る側、感じる側の都合で、ひとまとまりになっているだけで、互いの星は、地球からの距離も生成してからの時間もまちまちだ。 これはシンクロニシティのたとえだ。シンクロニシティにおいては、ある事象の連続が意味あるものと感じたとしてもそれは見る側、感じる側の都合であって、事象間に因果関係はない。ひとまとまりの事象をコンスティレーションとして意味あるものと感じるのだ。 それは科学で切り刻むべき対象ではなく、物語によって昇華すべき事件だ。客観的な対象ではなく、当事者として関わるリアルな現実だ。物理現象が心理のひだを通じて、他人事ではすまされない緊張を生み出す。 逆にいえば、この世は因果関係だけではなく、因果関係では説明しきれない何かがあることを知った。因果論的なアプローチは万能ではない。 しかし先生は因果論=科学の立場を否定するのではなかった。ただ、こころの問題には因果的に説明するのが適切でない場合があることを認め、心理学を解釈学に貶める立場にくみしなかった。 それは理論より臨床=実務を重んじる立場だったと思う。 すなわち先生は理論=言語化によって、何かがこぼれ落ちてしまうことを見抜いていた。したがって、事例研究を重んじたし、たとえば、情動に対するスタンスも臨床家(実務家)のそれだった。 病床から見える木が秋風に吹かれて落ちるのを見てつぶやいた子供の「なぜ」という言葉に対して、「それはこうこうこういう理由だからだ」と答えるのは間違いで、彼女に言葉を発せしめた情動に注目し、それを静めるのが臨床家の仕事(実務)だという。 いまも河合隼雄の思想はぼくの中に生きている。先生の死に際し、こころより哀悼の意を表します。ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 29, 2007 08:03:52 PM
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