593286 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

闘魂 サバイバル生活者のブログ

闘魂 サバイバル生活者のブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Freepage List

百万回の言い訳


時代状況


カネを生かす、ヒトを育てる


ビジネスマンのバイブル


ブログの原点 その1


ブログの原点 その2


ブログの原点 その3


ネットの議論がリアルに波及


追悼、「反骨」忌野清志郎


あたらしい認識の枠組み


ひとつの時代が終わった


科学という物語


根無し草と寄生


マネーゲームとトービン税


新・反グローバリズム


日本の独立


カネの本質と時間泥棒


ニヒリズムの克服


ドル暴落後の日本


労働ビッグバンをめぐって


働くとは


シャワーは冷たかった


労組再編


成果主義と共同体崩壊


政治の本質と経済の論理


ドルとユーロのせめぎあい


就業規則の不利益変更


労働ビッグバン再考


グローバリゼーション


気になる他人の財布


リストラのターゲットになったら


年次改革要望書とビッグバン


皆さん騙されないように!


美しい国の現実(リアル)


売国奴たちへ―日米の違い


おやじの論考―市場と疎外


時事放談2006


財政赤字とベーシックインカム


通貨改革とBI


陰謀論との出会い


マスコミに流れないタブー


商業メディアとタブー


パラダイムシフトの意味


サブプライム問題の背景


恥を知れ、アメリカ


米金融街に隷属するな!


最悪コンビ=FRBとヘッジファンド


金貸しと戦争


ジャパンハンドリング2010


CIAと戦後日本


日銀と闇の権力者


愛宕北山「猶太と世界戰爭」


不労所得と財政赤字


不労所得の罪


不労所得の罪 その2


米国の罪


社会の寄生虫=金融不動産


財政危機はガセ


財政危機はガセ その2


米国債はアヘンにも劣る


無から有を生む信用創造


ほんとうのおはなし


幕末と国際金融資本


東京政府の正体!


東京政府の正体 その2


天皇と国際金融資本


仕組まれた没落―大阪編


日本人が知らない恐るべき真実


闘魂サバイバル生活


おやじの絶叫2007


おやじの宣言2008


努力をドブに捨てるな!


おやじの願い…詩に託して


こんな所で…


おやじの宣言2009


ミッション


ミッション その後


ミッション 続き


マイナーバージョンアップ


旧版20120814以前


旧版2013年1月1日以前


米国メディアのタブー


インターネットと陰謀論


ネット時代のリアル


ネット時代を生き抜くスキル


いわゆる陰謀論について


ネット時代突入宣言!!


陰謀論に挑戦しよう!


反陰謀理論批判


陰謀論のラベルを引剥がす


陰謀論の系譜


正統派経済学の限界


陰謀または謀略に関して


陰謀論=認識の出発点


陰謀理論(岩波バージョン)


競争と公平感


メーソン型組織


陰謀論にダマされるな!?


陰謀系論者比較


地域通貨とサバイバル生活


自治体と地域通貨


物価に織り込まれる利子


減価する貨幣(入門)


中央銀行と地域通貨


地域通貨としての電子マネー


Profile

genzou1960

genzou1960

Calendar

Recent Posts

Category

Favorite Blog

(取材考記)議論に… New! 佐原さん

復讐心が強くなると… New! かせぎにんさん

ほとんどお休みの日… New! SRきんさん

年収106万円の壁、撤… 山田真哉さん

コンサルのできる社… ワダケイ5540さん
higeromu3 ヒゲ親父8815さん
鈴木俊行の杉並「阿… 鈴木俊行さん
ぼんくら会社員の「… Oquさん

Archives

November , 2024
October , 2024
September , 2024
August , 2024
July , 2024
June , 2024
May , 2024
April , 2024
March , 2024
February , 2024
October 15, 2007
XML
カテゴリ:メモ
ゲゼル研究会に突き当たった。<利子システム=地球環境の問題>への手がかりは意外と身近なところにある。

地域通貨だ。

ところが、直感では、これは生産者に都合がいい通貨のような気がする。消費者中心の視点で工夫すればもっといい結果が出るような気がする。

マイナス利子は少し乱暴やね。あれが成功したのは、大恐慌という混乱の中で生活防衛の必要性があったからで、地域通貨流通の十分条件は別のところにあるに違いない。あくまで直感だが…。

地域通貨の現状がぱっとしないように見えるのでこんなことをほざいている。実際のところはどうなのかわかりません。これから注意してウォッチして行きたいと思います。

以下、ゲゼル研究会のサイトをぶらぶらしていたら見つけた。結構面白いので引っ張ってみる。



地域通貨の輪にきてごらんよ
::森野 栄一

信用ってな~に

 信用という言葉をよく使うよね。

 信用という言葉でなにを意味してるか考え始めると、すぐ気づくのは、信頼に基づく何かだろうということ。何かを成し遂げることについてある人のもつ能力への信頼かな。彼はこれができるとぼくが信頼する、彼女も信頼する、誰もが信頼するというふうになれば彼の信用は万全というわけさ。そして彼そのものが信用のある人間となる。そこでは、彼の、まるごとが信用されるようになってるわけだよ。これをぼくらは実質的信用と呼んでいる。

信用はどこでも大切

 ところで、信用って言葉は取引とか、経済にとっても重要なことだよね。

 例えば銀行は商人が借り越すことを認める。銀行から見れば貸し越しさ。つまりある人間が口座に預金をもっている。そこにある金額以上を使うわけだ。これ、借り越し。余計に使った分は返さなきゃならない。これは別なふうにいえば銀行が信用を与えているというわけだけど、借り越した商人は、決められた日に、利息付きで借り越し分を返済するはずと、銀行は信じていること、信頼していることでもあるね。だから、ここでも信頼は信用の大事な本質なんだということがわかるだろ。

信用にはふたつある

 ところが信用には二種類あるんだ。いまいった実質的な信用と、もうひとつ、金融上の信用、金銭上の信用っていってもいいかな。 実質的な信用は、あるひとが、商品やサービスを求められる時に、求められる場所に提供できる能力を持っていると評価されていること。

 このあるひとが製造業者だと思えば、よくわかるね、製造設備や、これまでの在庫をもっていて、商品を引き渡す能力があるって他のひとに信頼され、信用されてるってこと、これが実質的信用さ。その実際の能力が評価され、信用されてるわけ。

 じゃあ、金融上の信用ってなにかというと、ことはお金に関係するんだ。あるひとが、求められるとき、求められる場所で、お金を提供できる能力が問題だということ。お金を出すひと、貸すひと、つまり銀行とかそのほかの資金供給者だけど、そういう人たちがある人についてお金について信頼し、信用していること。つまり、そのひとは実質的な信用をもっている、その信頼をお金で表現してるのが金融上の信用なわけ。これは同じみたいにみえるけど、実はものすごく違うことなんだ。

ふたつの信用の違い

 例えばある製造業者がいる。その当人は仕事熱心でやる気もある。いい仕事をする。もちろん、そこで働いている職人も優秀だ。周りに人間もそのことをよく知っている。彼のところは間違いがないと誰でも信頼している。

 ところで、その彼が銀行にいってお金を借りようとする。銀行は周りの人間と同じように彼を信頼してお金を貸してくれるかい?

 実は銀行は別の信用の基準をもっているのさ。それが金銭上の信用。つまりその製造業者が製品を作るについてどれほど優秀で、世間の評価が高くてもそれだけじゃあ、カネは貸せないと考えるのさ。この製造業者が製品を作って、実際に売りに出して、そして、それが売れて、売上金を手に入れて、そうして銀行に借りたお金が返せるか、つまり、お金と引き替えに自分の商品やサービスを処分できる能力について銀行は判断を下すというわけ。要するにお金を絡ませて見た信用、お金を絡ませて他人が下している評価が金銭上の信用というわけ。

金銭上の信用の問題

 これになんの不思議もないと思うかい?

 じゃあ、考えてみよう。

 例えば、製造業者Aがいる。在庫があるからといって、これを保証に、銀行に貸し越しを頼むとする。銀行はAに貸し越しを認める前に、Aの在庫の市場価値を値踏みするんだ、そうしてある額の貸し越しを認めるんだけど、その額は値踏みした在庫の値打ち以上ではないよ。それ以下しか貸してくんないんだ。言い換えると貸し手は借り手の実質的信用を検討しているわけ。これが不十分だとお金の信用も不十分になるってこと。これは、当然のことと思うかも知れない。世の中ってそんなもんさ、と思うかもしれない。

 でもそれだけじゃあないんだ。貸し手は借り手が需要がある在庫をたくさんもってるからといって、それだけで金を貸しはしないというとこが問題なんだ。借り手の在庫がちゃんと売れて、貸した金が返せるかどうか、それが信じられるときだけ金銭上の信用を与えるわけだから。つまり、ひとや事業の実質的信用が、いつもお金を絡めた次元からしか評価されてないことに加えて、製造業者がどれだけお金が稼げるかで判断されてるんだ。そこでは、必ず実質的信用は過小に評価されたうえに、金銭上の信用まで値踏みされるんだ。

ほんとの信用は分けられない

 でも考えてみると信用はひとつのものだよね。そのひとのまるごとの信用さ。ひとはそうして彼や彼女を信頼しているわけだ。しかし金貸しのやってることといったら、そういう丸ごとのひとの信頼を、実質的信用はカネのめがねでみてきりちじめる、金銭上の信用、つまりどれだけカネを手に入れることができるか、必要なときに、必要な場所に、カネをもってこれるかどうか、みている。要するに銀行が決めた日に、銀行のカウンターの前に、カネをもってこれるかどうか、そこに関心がある。

 それはひとの本当の背の高さを、低く測るようなものなんじゃないかな。でもひとは、そういう流儀がふつうだと思わされている。彼女が彼を選ぶときに、必要なときに、必要な場所にお金をもってくる能力で彼を判断していないといえるかい。そういうことをしている彼女は銀行と同じように彼を判断している。本当は彼には、まるごとの彼そのものの価値があるんだ。実質的な価値が。しかし、銀行と同じように、彼の実質的な価値を見る場合も、それがお金を稼ぐに十分かどうかで判断してはいないかい。これは、彼が彼女を選ぶときにもいえることさ。本当は人間の信頼とか信用はそんなものじゃあないよね。そんなものにすぎなかったら、ぼくらの関わりはずいぶん寂しいものじゃないのかな。

金銭上の評価でひとを測るさびしさ

 ひとお金を稼ぐ能力で評価するということは、要するにこういうことなんだ。例えば一年間に、1250万円運んでくる男がいる。月に直してほぼ100万円だ。年利が5%とだとすると、2億5千万円を銀行に預けるかしておけば、1250万円が利息分で手に入る。じゃあ、その男の値打ちは2億5千万円ということだ。

 でも2億5千万円で、その男が買えるかい?そんなことないだろう?その男の価値はもっとあるはずだ。ひとの命はかけがえのないものだとよくいうでしょ。そういうことをいう人たちが、実際の生活でひとを金銭上の信用で測っているのさ。

ひとが悪いわけじゃない

 それはそうするひとがいけないのかい。

 了見が違ってるのかい。

 心根が曲がってるのかい。

 いーや、そうではないんだよ。いまのお金のシステムがいけないのさ。そのなかにいると、自然にひとは曲がってしまうんだ。

 ローカル・マネーに参加してごらんよ。それがすぐわかる。そこでは、ひとは、まるごとの、生きた全体として信頼しあうことになるんだ、それが人間の自然ってものさ。

 さあ、君も地域通貨の輪のなかにきてごらんよ。


(C) by Gesell Research Society Japan





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  October 16, 2007 12:00:11 AM
コメント(0) | コメントを書く
[メモ] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X