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カテゴリ:メモ
晴耕雨読からコピペ。
出版物には出版コードがあるらしいし、どうやら「あれ」はタブーなのだ。匿名のネット空間だからタブーの制約から自由にモノが書けることがわかった。ネット空間では説得力の有無が結構モノをいう。ていうか真偽のきわどい話をどう処理するか距離のとり方が実に難しいんだが、判断の基準は結局のところそれしかない。逆に言えば、自分の教養が試されるってことか。 晴耕雨読さんはときどき読みたくなる。あたりはずれがあまりない。だが、時間もあまりないので、とりあえずコピペして、後日じっくり読むのにぴったりな感じ。しかし、晴耕雨読さんを批評する力はぼくにはない。おまけに、タブーをものともしないので、普通メディアでは論じられないテーマも理詰めで来る。したがって、距離のとりようがなく、丸呑み状態となってしまうのだ。 さてさて、社労士、勉強するべ。まずは例によって、ひよこ先生の1日1問から。 【推奨書籍】リチャード・A・ヴェルナー著『虚構の終焉』を読んで - けっこう危険な理論かもしれない -」 開かれた地域共同体 推奨書籍:『虚構の終焉』(リチャード・A・ヴェルナー著:村岡雅美訳:PHP研究所刊:2500円) 総括的な評価をすると、経済事象の説明理論としては極めて優れているが、そのような経済事象が起こしている人々(経済主体)の判断に関する考察が抜け落ちていたり、経済事象の総体的理解に揺らぎがあるため、政策提言内容は妥当性が欠けていると思われる。 このため、従来理論の批判や説明理論を展開している前半から中盤(「第11章 貨幣の流通速度の謎を解く」まで)は引き込まれるように読んだが、後半(「第12章 成長率の決定要因」以降)は期待はずれの気持ちで読み進んだ。 それはともかく、経済学を学んでいる人や経済事象の変動に関心を持っている人は、『虚構の終焉』を通じてヴェルナー氏の経済事象説明理論を検討されることをお奨めする。 それにより、ケインズ派・マネタリズム・新古典派などが使っている経済事象説明理論がいかにデタラメで現実通用性のないものであるかがわかるはずである。 (経済学部のマクロ理論の教科書として使われると数年後の日本は変わるだろう) 【推奨書籍】リチャード・A・ヴェルナー著『虚構の終焉』を読んで - けっこう危険な理論かもしれない -投稿者 あっしら 日時 2003 年 5 月 22 日 80年代と90年代の日本のデータを使った実証的な分析と説明理論の妥当性検証を行なっているので、リアルティがあり資料価値もある。 ヴェルナー氏の政策提言に妥当性が欠けているのは、ヴェルナー氏が現代経済学ないし「近代経済システム」の枠内にあるからだろうと推測する。 『虚構の終焉』では、「利潤の源泉」と「資本の論理(経済活動の目的と基準)」という近代経済システムの基礎的問題がまったく触れられていない。 そのため、経済事象が自然現象のように捉えられ、経済成長は推進力である「信用創造」の拡大で実現できるという政策提言になってしまっている。 ヴェルナー氏の政策提言を約めれば、「信用創造」拡大の阻害要因である不良債権処理を行ない、日銀(+銀行)が「信用創造」の拡大を主導すればいいというものである。 このような政策提言でも、1995年頃まであればけっこう高い現実通用性を発揮したと思っているが、デフレ・スパイラルに陥っている2003年に刊行した書籍で展開する政策としては現実通用性が低下する。 (政府が経済活動を差配する共産主義政策が可能であれば通用性は高まる) 鶏と卵の話になるが、デフレにおいては、銀行が健全であっても、貸し手側・借り手側の両方からの判断で「信用創造」は縮小するから、「信用創造」を拡大するためにはデフレを解消しなければならない。 銀行も利益を上げたいから「信用創造」を拡大したいが、デフレのなかでは、政府部門や優良企業を除くと恐くて貸し出しができない。 (だから、超低利率でありながらもリスクゼロの国債に走る) 優良企業は、設備投資は更新する範囲にとどめ増強はあまりしないし、必要な資金は銀行借り入れよりも有利な条件で調達できる。 (だから、銀行借り入れはできるだけ繰り上げ返済しようとする) お金を借りたい企業は、元利の返済や買掛金・給与の支払いがままならないところがほとんどという状況になっている。 2%のデフレでは、金利が0%であっても、実質金利は2%になる。 (だから、銀行はいつかは破綻すると考えて貸し出ししない) ヴェルナー氏は、提唱している政策を有効にするために、「国家統制経済」を同時に主唱しなければならないだろう。 ヴェルナー氏はダボス会議でGlobal Leader for Tommorowの一人に選ばれたと著者紹介欄に書かれているが、現在の理論であれば、チョムスキー氏と同じように、来るべき「世界帝国」のイデオローグになってしまう危険性もある。 (「世界帝国」は、奥に潜んだ国際金融家がシステム的に支配する社会主義帝国だと予測している) 「信用創造」とは詐欺的“高利貸し”のことである。「信用創造」の拡大を提唱しているヴェルナー氏がまともだとはとても思えない。 「信用創造」の“限界”というヴェルナー氏に対する根源的な批判や、を財政出動の評価/発展途上国の国際借り入れ(外資誘致)問題などに対する疑義も説明したいが、機会を改めてさせてもらう。 >国家統制経済には、何種類かあり、いい国家統制経済と悪い国家統制経済があるのでしょうか。それとも、国家統制経済は、すべて悪なのでしょうか。あっしら流に、仮に、いい国家統制経済があるとしたら、どのような経済制度なのでしょうか。そしてそれは、新世界帝国の福祉専制の経済制度とどのような違いがあるのでしょうか。 「国家統制経済」は基本的に悪で、望ましい経済社会は、「開かれた地域共同体」の連関的世界だと思っています。 しかし、「近代経済システム」は国民国家を基礎としたものになっており、日本をはじめ多くの“地域”が英仏などの近代主義国家の荒波に襲われ、自らが近代主義国家になる道を選択しました。 (日本で言えば明治維新) 現在も「近代経済システム」は続いており、日本(国民)が存続するためには、国民国家的な形態を維持するしかないと思っています。 現在的テーマは、グローバリズム及び「世界帝国」という国民国家を超越した経済システムやそれを支える新自由主義経済価値観にどう抵抗するかだと思っており、その抵抗基軸は国家だと考えています。 「国家統制経済」は、経済活動は国民の生活向上を究極的な目的とする“国民経済”であるとの認識で行なわれるのであれば、現在的には悪くないと思っています。 「新世界帝国の福祉専制の経済制度」は、国際金融家の収奪システムを糊塗するためのもので、付加価値税(消費税)を使った“貧乏人の相互扶助”になるはずです。 “貧乏人の相互扶助”は、雇用されている人が稼ぎを消費に使うことで、稼ぎがない人たちの生活を維持するというものです。 (累進課税所得税制度に較べると高額所得者の負担は軽減される) “国民経済”は戦後の西ドイツのようなかたちをイメージしていただければと思いますが、現段階では、利益獲得自体を目的とした金融取引や金融資産の在り方が問われなければならないと思っています。 >後ひとつ、バブルの生成と崩壊の主な原因として、日銀の窓口指導をヴェルナーさんはあげていますが、この解釈はどうなのでしょうか。 日銀の「窓口指導」は、バブル形成の実効性を推し進めたり確認するのに大きく貢献したと思っています。 “原因”というより、バブル形成の推進力だと考えています。 バブルの崩壊原因は、形成されたバブルはいつかははじけるものという論理につきると思っています。 (あの時点ではなくても、バブルははじけ、銀行以外のババを引く人が変わったというだけの話です。バブル崩壊が遅れていれば、もっと深刻な後遺症に悩んでいたはずです) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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