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カテゴリ:本
副島隆彦「時代を見通す力」(PHP研究所)より引用。
…金融投資による金儲けと利殖のことばかりに熱中している人々は、たいていは失敗して大損をする。それよりは、真面目にものづくり(商品やサーヴィスの生産)をして、堅実に働くことのほうがずっと効率がよいし、優れた生き方である…真面目にものづくりをして、まじめに世の中に人々の暮らしができることが人類(人間)の理想であり目標である。ところが現実の日本は、投資と資産運用で生きる人々がたくさんいる。金利生活者国家(rent seeker nation)である… …それに対しては、私は、次の松下幸之助氏の言葉がいちばん効き目があると思った。「人は何のために生きるのか」に本気で答えようとして、私自身が思いつめて、松下幸之助氏の次の言葉に聞き入る。 「同じ金でも」 同じ金でも、他人からポンともらった金ならば、ついつい気軽に使ってしまって、いつのまにか雲散霧消。金が生きない。金の値打ちも光らない。同じ金でも、アセ水たらして得た金ならば、そうたやすくは使えない。使うにしても真剣である。慎重である。だから金の値打ちがそのまま光る。(中略)金はやはり、自分のアセ水たらして、自分の働きでもうけねばならぬ。自分のヒタイのアセがにじみ出ていないような金は、もらってはならぬ。借りてはならぬ。個人の生活然り。事業の経営然り。そして国家の運営の上にも、この心がまえが大事であろう… 松下幸之助氏は、1918年(大正7)に24歳で独立して、以後、94歳で逝去するまで、約70年間、世界中の人々の生活の役に立つ電気製品を作って売り続けた。 金融バクチにのめり込んで、結局、大損するよりは、世の中の人々の役に立つ生き方をすること、そして若い人を育てることが大切なのだと私たちに教えてくれている… 以下、私のコメント。 われわれの生活は完全に商品経済に組み込まれていて、金がなければ、生存できない構造になっている。この問題は切実だ。 この構造が強欲と拝金を助長し、金があればなんだってできるという妄想とセットで、奴隷の主人として、われわれを支配している。 この支配のこの締め付けが強烈なので、われわれは混乱してしまって、生きるために食うのか、食うために生きるのか、こんな単純なことさえ、わからなくなってしまう。この構造の中にあっては。 ここから自由になるためにはどうすればいいのだろう。 貧困にあえぐ、便利な労働力を取引する市場を作って、人件費を変動費化すると儲けが出る。こんな安直な制度をシステム化した官僚は、さきの松下の言葉を繰り返して読んでもらいたい。 そもそも短期的な視点しかもたないモノ言う株主(rent seeker)をよろこばしても、もともと人の扱いで無理をしていて、持続可能性がないことをやっているのだから、やがて続かないと見えるときが来る。すると、彼らは利益を確定させてさっさと売り抜けるだろう。 長期的なビジョンを欠いた持続可能性の薄いやり方は邪道だ。緻密で器用な日本人の特性を生かしたビジネスといえば、ものづくりしかないと思う。 ドイツのようなマイスター制度を整備するのもいいかも知れない。かの国は、東西統合後、膨大な財政赤字をどうやって克服したんだろう。情報がない。 ベルリンとローマの動向が気になる。彼らなら、共同体を維持しつつ、国づくりを行う思想を共有できるような気がする。昨今は、EU統合によるグローバリゼーションの波に揉まれて大変かも知れないけれど。 愚直さと無縁な英米はもうエエわ。明治維新以後、彼らと関わって来たけど、悪魔(ダビデ)に通じる彼らと付き合っても道を誤まるだけ。どこか違うんだよね。近代主義の根幹にあるレゾンとラツィオの破壊的なパワーは認めるけども。 里山(共生)の思想、分散処理(地産池消)の思想なんだよ。われわれが無理なく目指せる方向は。地球環境の問題、エネルギーの問題、食糧の問題、どれをとってもそうだ。 バックに控えているのが、強欲や拝金の対極にある清貧の思想だ。わが国の古典(伝統)がそれを支える。そして、その辺りに自由がある。 ところで、ネット時代にあっては、言葉の壁が非常に歯がゆい。超えたい気持ちはますます強くなるけれども、もはや超えられない壁である。若いひとは、がんばってこの壁を超えて下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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