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カテゴリ:生活
9.11のときもそうだったけど、小沢一郎に対する検察の行動や今回の3.11後の情報隠蔽・情報操作も目に余るものがあった。
先の戦争で、メディアが大本営報道に終始して、結果として、国民が真実を知りえなかったのは周知の事実だ。 しかし、そういった報道統制は、いまも厳然と存在しているのではなかという疑問に国民は気づきつつある。 それは今回の3.11に対する政府の対応があまりにも杜撰で、しかも問題は国民ひとりひとりの生命・健康に直結するものであり、評論家然としたスタンスを取れない。 自分の身を自分で守るために最低限必要な情報があやふやで、政府は官僚が支配していて、その官僚は米国とつるんでいて、日本人の生命を真剣に考えない。 無責任なのである。米国はローマ帝国の統治を研究していて、帝国として、属国を収奪すべく、国民の資産を狙っていて、しかもそれをシステマティックにやろうとする。 結果として、先の戦争では、最高責任者の責任を問わず、また、巣鴨プリズンにいた岸信介や正力松太郎をエージェントととして利用した。 そういうバックグランドを知った上で、やはり、問題視せざるを得ないのは、政府の場当たり的な対応と危機管理能力のなさ、である。 そして、メディアが第四の権力としてそれに追随する。 しかし、それもインターネットの出現によって、ほころび始めた。確かに、これさえ、当局に管理される恐れはある。 だが、リビアを見ればいい。武器を持った国民の数(かず)による「勢いよさ」に見習って、各人が正しい情報をサーチしていけば、いくら当局であっても管理しきれるものではない。 10月には検察審査会の「謎」が明らかになる。アンダーグランドの世界は魑魅魍魎がうごめいているが、われらの小沢一郎が晴れて、無罪を獲得し、表舞台に復帰する。 僕らは民主党のマニュフェストを支持したのだ。マニュフェストをないがしろにする民主党は非主流派だ。 とにかく、国民に対峙していない、人命軽視の新自由主義一派は、一掃しなければならない。僕らはTVや新聞が主張する、グローバリストという名の新自由主義の本質が3.11以降、表面化していることに気づくべきだ。 そのための前提条件として、メディアとどうつきあっていくか、僕たちのメディア・リテラシーも問われようとしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 28, 2011 01:21:59 AM
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