成果主義と共同体崩壊
成果主義のベクトルは共同体幻想を突き崩す方向を向いている。成果主義導入によって会社は共同体であることをやめた。しかし、飲み会や親睦会は盛んである。考えられる理由だが…。日本社会には会社以外に共同体がないのが理由の一つ。あるいは、壊れかけた人間関係を修復する試みとも考えられる。まったく無駄な労力である。社外で通用する能力を身につけることが成果主義を乗り越える手段だ。もはや共同体ではないんだからスーパードライで行こう。もともと成果主義なんて総賃金抑制の手段にすぎないんだぜ。評価者の能力以上の評価はできないし、そもそも評価者との人間関係以上の評価なんて望むべくもない。成果主義の観点からいえば、福利厚生は成果と関係ないから廃止だし、親睦会なんて成果と関係ないからやる必要はない。贅肉をそぎ落として、究極のボディービルダーを目指してくれ。勝手にやれや。「人」あっての会社であることを考えれば普通成果主義なんて導入せんやろ。成果なるものがどんなものかは知らん。ところで、成果なるものに対して金をはずめばモラールの上がる人間というのはちょっと頭が短絡的で、付いていけない感じがするのだが、実際のところはどうなんだろう。