自由
ぼちぼち長男も受験生なのでまとめておく。他の大学のことはわからないので、参考になるかはわからない。しかし、お父さんの通った京大法学部は自由だった。だが、それは今思うと非常に厳しい環境だった。サークル活動にウツツを抜かしている間も目標をもって図書館で死にもの狂いで勉強をしている学生がいたことを覚えている。進路はさまざまで法曹になった者や学者になった者、官僚になった者などはそれぞれ学生時代のうちにに死にもの狂いで勉強をしている。ひとに言われてやるんではなく、自分で決めた目標に近づくために、自分で課題を設定して、死にもの狂いで勉強をする。ものごとには旬があって、旬の盛りのいいときに、己を克服することが大事だ。お父さんは、旬のタイミングで、死にもの狂いで邁進すべき目標に出会えなかった。その反動はきついぞ。自由には責任が伴う。結果を引き受ける潔さも必要だろう。自由の意味をかみしめながら、お前等には煉獄のような道を経験してもらいたくはないと思っている。自由とは厳しいものだ。かつての京大は厳しかった。大学受験をくぐり抜けた白紙の状態でいきなり法律の基本書を読めというんだからね。しかも、授業は、当然基本書を読んでいることを前提にした高度なものだ。己を克服することによってそういう過酷な試練を潜り抜けた者がいることは確実だ。適性もある。家庭の事情もある。運もある。しかしそんないいわけは通用しない。自由は尊い。自分で決めたことを自分で実行する。そして結果を引き受ける。人生を渡っていく上で、大事な精神だ。どこの大学に入るかはわからないが、どんな人生になるか自分で道を切り開いていく。自由だが結果を引き受ける覚悟は忘れるな。もはやスタートラインだ。悲観的になることはない。いいものをもっているんだから。