終身雇用制と日本文化 ゲーム論的アプローチ
長引く不況を背景に、労働市場の自由化など、市場のメカニズムに過大な期待を寄せる論調をよく目にするようになった。日本経済が絶好調だった頃はあれだけもてはやされた、「終身雇用制度」を背景とする「日本的経営」は、、今や日本企業の競争力を阻害している元凶のように言われることも多い。 しかし、それでは、自由市場に一番信奉を置いているアメリカの場合はどうだろう。クーリエ・ジャポンの2010年3月号は、「『貧困大国』の真実」として、アメリカの病める姿を鋭く描き出していた。この実態を見れば、市場というものは、決して諸手を挙げて礼讃できるようなものでもないのだろう。もちろん、昔の社会主義諸国のような計画経済などは論外であり、解は、自由市場に近いところにはあるのだろうが、市場は必ずしも安定ではなく、そこになんらかのコントロールというものは必要なのである。 市場に信頼を置くのは、「新古典派経済学」の考え方なのだが、私自身、安易な自由競争への期待に対して、ずっと懐疑的な気持ちを持ち続けて来たのだが、先般「終身雇用制と日本文化 ゲーム論的アプローチ」(荒井一博:中央公論新社)を読んで驚いた。まさに、私が感じている疑問に対して真っ向から論じていたのだ。発行は、1997年だからもう10年以上も前である。大抵のことは、既に誰かが考えて、論じているということのよい事例であろうか。 要点をごく簡単にまとめてみよう。 日本は伝統的に信頼を非常に重視した社会であり、そのような文化のもとでは、終身雇用制は、協力を促進するので、企業にも労働者にもメリットが大きい。 反面、終身雇用制は、インフォーマルグループというものが組織内に形成されやすく、組織全体のためではなく、自分たちの利益のために動きがちである。信頼を非常に重視していた日本社会自体も急激に劣化が進行している。 日本的システムは欠陥が露呈しているものの、歴史や文化を無視して、そのままアメリカの真似をしてもアメリカ以下にしかなれない。何よりアメリカ人の大多数が日本人より幸福という訳ではない。結局は、倫理的側面と制度的側面から日本的システムを改善してやっていくしかない。 最近の経済学関係者たちの論調に少し辟易していた身には、いちいちうなずけることばかりである。ところで、本書には、経済学徒について、面白い実験結果が紹介されている。経済学徒は(もちろん平均的な話で個々には例外があるのはもちろんだが)、一般の人と比べて、「合理的」に行動したり非協力出会ったりする傾向が優位に現れるというのだ。ここでの「合理的」とは、「経済人」の持つ合理性ということで、つまりは自己の利益を最大にするように行動するということだ。経済の専門家の主張することが、時に違和感を持ってしまうのも、案外このあたりの感覚のずれから来るのかもしれない。○ランキング今何位? ○姉妹ブログ・「文理両道」・「本の宇宙(そら)」(本記事は,姉妹3ブログ同時掲載です。)