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カテゴリ:その他
二人目が生まれたので広いところへ引っ越したのだけど、 このお家かなり素敵だった。 今まで6帖×2だった1階が今は16帖+6帖なので アメリカ家具も購入しとっても素敵なインテリア。 もともとデコレーション得意な彼女の事。 とにかく素敵だった。 お庭も広くて、子供達は泥まみれで遊び、 私たちは椅子に座ってワインクーラーを堪能。 なんとも平和な時間をすごしました。 アメリカのゴシップ雑誌、彼女がもう読んだのも5冊くらいもらって 今トイレで熟読中(爆) 彼女は専業主婦でほとんど家にいるから 手狭な家からあんな素敵な家に引っ越して ストレスも半減したそう。 やっぱり住む家が心地いいって大切ですよね。 ただし家賃は!!!な値段。 高収入な旦那様を持ってうらやましい。 我が家ももう少しなんとかせにゃ。 激安カタログ「ニッセン」をこれまたトイレで熟読、 な私です。 先日母親から手紙がきました。 こどもの日に何か買ってやってくれ、と 中には5,000円入ってました。 フリーページにもあるように私は両親ともう 3年以上会っていません。 正確に言えば手紙以外、電話でも話していません。 国際結婚を反対されて両親ともめる、 こんな事はどこにでもある話だけど、 だいたい子供が生まれたらOKになるケースが多い中、 うちはその関係になんの進捗もありません。 私はお母さん子でお母さんが大好きでたまりません。 父親がメチャクチャだったせいもあって それでもいつも笑顔を絶やさず明るい母親は 私に取って唯一の存在でした。 頑張っても何一つ褒めてくれない両親だったけど、 いつか大好きになってもらおうと頑張り裏切られ、 今度は見返してやろうと頑張り、 そんな事の繰り返し。 まあそんな両親のおかげで 強くなったし、結果的には大学も自力で行って、 母親になった今も子供への愛情がすごく強い、 いわば反面教師なわけで、 今の自分があるのはこの複雑な親子関係のおかげかな、と。 でもやっぱり私には両親が許せない。 大人になろう、老後で寂しいんだ、と考慮しても 絶対に許せない自分がいる。 長男妊娠がわかって当時同棲していた主人と 結婚すると報告した時に言われた事。 「今4ヶ月、ふーん、でも流産する人も多いからね」 「あんまり調子にのって喜ばない方がいいわよ」 「手伝いにはいけないし、私は普通のおばあちゃんとは違うから」 「孫命、みたいにはならないし、面倒もみないからね。」 「甘えないでね」 妊娠中腎盂腎炎で入院し、一応駆けつけた母親が 偶然主人と鉢合わせしてしまった。 「これからおばあちゃんになる気分はどうですか?」 と笑顔で聞く主人に 「別に何も感じない」 「......」 実は主人はこの時泣いてしまった。 でも母をちゃんと近くの駅まで車で送ったが、 その間なにも会話はなかった。 2度の出産にはもちろんお見舞いにもこず、 出産祝いもなく、 生まれた長男を見に来ても1時間で帰り、 次男にいたっては全く無視だった。 長男出産時には主人の母親が1ヶ月手伝いにきてくれたが、 彼女にお礼を言うどころか目も合わさなかった。 お金もないのに子供を作って計画性のない! それが次男妊娠を報告したときの母の言葉だった。 私は主人との結婚を反対する両親を責める気はなかった。 黒人が嫌いな両親もそれはそれでいいと思った。 戦後を生き抜いた世代だし、どんな意見を持つのも個人の自由だ。 自分の両親だからって私の価値観を押し付ける事はできない。 だから彼らの考えが変わらないのなら もう会う事もなく、良い距離を置いて 接していくのが一番だと思った。 決定的だったのは次男が6ヶ月の時、 叔母の策略で半ば強制的に我が家に連れて来られた母親。 一応次男を抱っこしたが、 まだ2歳前の長男に 「ホントこの子はよく食べるわね、食い意地が張ってる」 「もう、言う事聞かない悪いコネ!」 などネガティブな事ばかり言っていた。 主人の母のあの孫が可愛くて仕方ない、 食べてしまいたい、というのが溢れ出てる顔と 自分の母親の顔の違いに、私はハッと目が覚めた。 もう終わりにしよう。 そこでも母親の話題は 私が冷たい、母の日に何もよこさなかった、 アメリカに行く前に大学時代負担したお金を返して欲しい、 など、そんな感じだった。 一緒にいた叔母も 「××ちゃん、もういいわ、こんな親」 「あなたはあなたの人生をあなたの家族と生きなさい」と、 激怒してしまったほどだ。 私の両親は大切な時間をなくしてしまった。 もう取り返す事なんて決してできないのだ。 私はそれを何度も何度も手紙で訴えた。 私の事を認めたくないならそれでいい。 私たち家族を認めたくないならそれでいい。 でも将来、必ず後悔する時が来るでしょう。 なぜならあなた達は私の主人と、子供、 このなんの罪もない人達を人種の違いという理由だけで とても深く傷つけたからです。 人生最後の時に、そんな自分を絶対に許せないはずです。 今なら間に合います。 私の事はどうでもいい、娘と呼ばなくてもいい。 でも子供達とはいい関係を築いていけるはずです。 子供には愛してくれる家族は多ければ多いほどいいのだから。 でも彼らは拒否をした。 それはとても長い時間。 私たち家族が本当に大変な時、 もう彼らの存在は私達の中になかった。 頼ろうとも、事情を話す気も全くなかった。 後から入院の事を知った母親が、なんで知らせなかった? とこれまたお門違いに憤慨してたらしいけど、 知らせてどうなったって言うんだろう。 また妊娠?あげくに子宮外妊娠?だから言ったでしょ。 余計なお金ばっかりかかって、とでも言われるのがおちだ。 だいたい今までの対応を見てるので 絶対に子供を預けたくない。 今回の手紙にはこんな事が書いてあった。 ************************************************** あなたも元気そうで、 あなたに頼りきって寄り添う子供達を見ると とてもいい親子関係を築いているんだと思います。 (送った写真を見て) 入院の時何もしなかった私たちに ××さん(主人)はどんな気持ちだったでしょう。 今思えば病院の帰り、あんなひどい事を言った私に お昼を一緒に食べようとまで言ってくれた。 とても優しい人なんですね。 あなたが子供を思うように、私にはあなたの事しか頭にありません。 ご主人や子供達でもなく私はあなたの事だけが心配です。 冷たいおばああちゃんかも知れないけど それが私の本音です。 どうか元気にあなたの人生を精一杯生きてください。 何より体には気をつけて **************************************************************** 今まで何度もこういう優しい手紙をもらい、 期待して近ずこうとすると思いっきり傷つけられてきた。 正直今も母からの手紙の封を開ける時 心臓がドキドキしてしまう。 怖くて開けれない事もある。 もう傷つけられるのも泣くのも嫌。 子供達は今一番可愛い盛り。 人間は変わるのだろうか? もう1度チャンスをあげるべきなのか? 母は今64歳。体もあまり丈夫ではない。 お母さん子の私は母の日を前にして 手紙を見つめながら胸が苦しくなる。 だいたいもう主人だって私の両親には 絶対に会いたくないと言ってるし、 もう完全に修復不可能な状態。 母親の心理が分からない。 彼女はどうしたいんだろう。 そして私はどうしたらいいんだろう。 皆さんはどう思いますか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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