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カテゴリ:破綻・再生
たくさんのブログでたくさんの議論がされています。多少辟易とした感も否めませんが、だんだん怒り心頭になってきますね。
このブログの読者の方は本件に対する私の結論は見え見えなのでちょっと興味深くないかも知れません。 私の論点は以下の2点です。 1:議論の中心は郵政のビット対応に総務省が切り込んでいる点です。それに対する、ビットは1円でも高く売るべき、とダイヤモンドオンラインで述べた某弁護士のコメント。 2:もう一点はオリックス他ビッドに参加した投資家に対する総務大臣の偏見。
1はこれです。 「1円でも高く売る」信念なし アドバイザーのカモにされた「かんぽの宿」 まず、一括で従業員の雇用を原則維持の状況で売却に入ったのは一つの経営判断だったと思う。今回のような不況の中でよく雇用維持をして契約できた(後に白紙になった)という点は評価していいのではないか? 雇用整理すればそれはそれで非難轟々だったはずだ。また、宙ぶらりんのままでかんぽ事業を継続しても郵政のためにもかんぽの宿事業のためにもよくならないので、結局双方の事業価値が毀損する。 再生してから転売すべし、というのはあきれてものが言えない。その道のプロではない郵政に再生見込みがないから売却に踏み切ったのではないか? 50億円の赤字事業をさらに1年継続して(この不況下で一気に黒字化するとは誰も思えない)売却が遅れるのと、今6億円は高いかもしれないが、それなりのフィーで売却するのとそろばん勘定ではどちらが正解なのか?
一括でなくばら売りすべし、これはケースバイケースだが、一括で売却した方が相互によい。 経営とは単なるそろばん勘定ではないはずだ。経営側もある程度配慮があったと売却された側にも、残った側にも思わせるほうが経営にとってかえってよい結果もある。人心への配慮。 そろばん中心で考えても、人心を考えてもおかしな議論だ。
破綻企業の管財人が1円でも高く売却することに意義がある、という点もやや疑問だ。 もっとも民事再生か、会社更生か破産かで立場が変わるので一概に言えないが、再生型破綻の場合は、民事再生の申し立て代理人の責務は、高い弁済を追及する以上に、引受け事業の確実な再生を図ることを期待されて債務者企業に雇われるはずだ。したがって彼の利害は依頼人たる債務者企業に向くべきだ。(それが法律家の忠実義務ではないのか?) だから民事再生が会社更生より人気があるのであろう。DIPですから。 債務者企業の利害は再生したい、即ち、一円でも多く債務免除を勝ち取りたい、さらに言えば1円でも安く売却してほしいのだ。 再生するときに債務は軽い方がよいに決まっている。 会社更生の場合でも、日本リースの管財人だった奥野氏は早く処理しないと事業価値が毀損するといってGEリースに一括で早々に売却してしまったが、彼は英雄扱いだった。おかげでRCCの社長になった。あのときにこんな議論はなかった(リースでなくとも時間が経過すれば事業価値は劣化するのが破綻の常である)。 マイカルの会社更生もほぼ一括で最終的にはイオンだった。マイカルは子会社上場でやや手間取っていたが、結局イオンになったが、誰もマイカルの店舗をばら売りしようなど思わなかった(買収者側がその後閉鎖したことはあった)。 今議論されているRIETのニューシティレジデンシャルも一括売却のようだ。
「では債権者は泣き寝入りでいいのか」とお思いだろう。しかし、よっぽどひどい債務免除は別として(そういったものは税務的に出来ないだろう)、債権者側も過去の債権は忘れて、フレッシュな体制で債務者企業との取引の再開を臨むほうが主流だ。銀行側も、自分たちが引き金を引いて再生可能性のある事業を破産に追い込むようなまねはしないことが多い(引当金を十分に積んでいれば)。
したがってかんぽの宿事業でも、事業そのものを郵政から売却された後も引き続き「再生を願う」とすれば、荷物は軽い方がいいのである。買収者側も投資リターンを極大化しようとすれば、高い値段だと買収後にリストラをやらざるを得ない場面も出てくる。
仮に依頼人たる郵政にそういった配慮があったら、アドバイザーたるメリルリンチの取った行為は正当化されるはずだ。郵政のそういった配慮が総務省の逆鱗に触れたというのはまた別の話である。
小泉改革が行き過ぎたので現在の状況がある、といいながら1円でも高く売る(大臣の代弁とすれば)というのは小泉的発想に近いのではないか? 私はどちらかといえば市場経済を支持しているが、さりとて行き過ぎも好きでなく、労働者よりの意見を持っている。
かんぽの宿事業については郵政側の対応がしどろもどろしている点が気に食わないが、ディールそのものはよかったと思っている。 旧郵政事業のツケを何とかソフトランディングで来たという点。
かんぽの宿を事業として売却するのか、不動産として売却するのか、当然事業として売却してもらうことを国民は望んでいるのではないか?自分の勤務する会社が、工場の値段で売却されたり、ビルの値段で売却されたりしては皆の心にキズが付かないか? 「オタクの会社は会社ではなく不動産鑑定士の不動産としての価格で買収されました」? これだと清算価値である(かんぽの宿は収益還元で評価されたということは一応事業としてみているということであろう)。 そういったことを公益事業たる郵政が率先してすることを国民が望んでいるのか? キヤノンやトヨタのようなグローバル企業の派遣切りを厳しく問いただしているのはそういった気持ちではないのか? またこういった背景において、リストラを伴ってもいいから高く売るとかを望んでいるのか? また1年赤字を垂れ流すことと「1円でも高く売る」ための時間的猶予とどちらが大人の判断なのだ。 総合的な経営判断は1円にこだわらなくともよい。今一括売却することは十分理に適った判断だった可能性がある。
2:ビットに参加した投資家をハゲタカ呼ばわりする大臣 私は正直オリックスが好きでない。彼らのビジネスにオリジナルというものがほとんどなく、大半が2番煎じの事業だ。マイケルポーターに言わせれば「フォロワー」だ。 しかし、その私が今回のビッドはオリックスが適任だったのではと思っている。 そもそもビッドに参加した先を全てまとめてハゲタカ呼ばわりするその無責任さにはあきれてものが言えない。根拠が全くない。安く買えば皆ハゲタカなのか? 貴方は選挙の票を安く買おうとしているのではないか?
オリックス不動産は、別紙のように既に4つの温泉旅館(別府「杉乃井ホテル」、会 http://www.orix.co.jp/grp/content/081226_OREJ.pdf
と自ら言っているように再生実績があるのである。売却する側としてみれば、誰でもいいから売却するより、売却先でかんぽの宿の価値を高めてくれる先に売却したい、と思うのはおかしいことでは決してない。 我々投資ファンドが買収提案に行くと、事業会社の経営者はよく上記のように、売却対象事業の価値を高めてくれるところがいい、と言及されます。 自ら経営に失敗した事業の売却選定先にどういった先を選びたいか、という点はあってもしかるべきだ。
はっきり言って価格は1円程度はたいした差ではない。売却後のことを考えて総合的に結論があってもそれは決して、おかしな話ではないはずだ。 国民の税金は、失敗したかんぽの宿事業なんかで取り返さなくとも、本業でしっかり競争力をつけて高値で上場できれば十分におつりが来るのである。その任務のために民間経営経験者をスカウトしたのであって、負の遺産たるかんぽの宿の億円単位の小さいことでこだわっていなくともよいと思う。 経営とは長期的な観点で行うのはアメリカでも当然で、日本の経営者も皆言っていることです、一部の弁護士さんと目の前の選挙という短期的視点の政治家には理解が出来ないかもしれないが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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