My Friends Forever!- あっ!トロント → LIFE
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『想い続けるには力がいる。想い続けることは、時間を費やすことだから。どんなに想いが激しくても、本当に想っていることじゃないと想いは途中で、どうでもよくなったり、諦めたり、忘れたり。だけど、どんなに小さなことでも想い続けていれば、時間と共に叶うもの。叶えていけるものに変化する。それは、叶えていけるように自分自身が変化するから。想い続けていられるということは、それだけ自分にとって価値のあるものだから。時間を費やすだけ価値のあるものだから。』 (引用元不明)
2005年07月31日
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『勝負に絶対はない。絶対に勝つということもないし、絶対負けるということもない。最後の最後まであきらめるな、余裕を見せるな、遠慮するな。苦しくなったら今までやってきた仲間、自分を思い出し、信じろ!!自信は最大の味方、弱気は最大の敵。最高の笑顔を咲かせろ!』 (投稿)
2005年07月30日
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今日は朝の10時から面接を受けてきました。今回受けた会社は今まで僕が受けてきたものとは少し異なるとこでした。会社の事務をしながら、時には社員の子供達を預かっている託児所にヘルプで行くというものです。事務か、託児所かどちらを主に置くのかがよくわからなかったので、それは面接中にしっかり質問しました。もちろん子供に関わる仕事をしたいのですが、社会を(会社事情を)知りたいという気持ちもあったので応募してみたのです。「男」で「カナダで幼児教育の勉強をした」という日本では異色の経歴の履歴書を見て沢山の質問をしてきました。面接のマニュアル通りの受け答えは出来ませんでしたが、自分なりにアピールすることは出来ました。面接後の適性検査や筆記試験には少々戸惑いましたがなんとか終了しました。何件か仕事を探す内に「焦り」が確実に出てきてます。初めの方は「英語を使える」「保育園」などにこだわりをもっていたのですが、ここ最近は少し主旨が変わってきているように思います。とにかくはやく仕事を決めて家を決めて落ち着きたいという気持ちが大きくなっていてます。それが良いのか悪いのかは分かりません。色んな人の話を聞いて参考にしたいと思います。明日も14時から面接です。
2005年07月29日
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『恨み、憎しみ、低俗な思いが心に浮かび、心がハイジャックされそうになったら、もっと面白いこと、熱中できること、楽しいことを探したらいい。お金は少しくらいかかってもいい。罪を犯したり、ムダな時間が増えるよりもましだから…。そもそも、私たちには、ひらめきや思いつきが多いから、そんな方法を準備しておかなければ、自分の人生の時間をムダ遣いする心の中の悪魔を防ぎようがない。』 (投稿)
2005年07月28日
『結果ばかり考えているからとびこめない。結果ばかり考えるから、立ち向かっていけないんだ。勇気をもて。』 (投稿)
2005年07月27日
『常に積極的に考えよ そしていかなる失敗からも、エネルギーを得ることだ 歴史に残る偉大なる発明が、数え切れない失敗の後に 成し遂げられたものばかりであることからも分かるとおり 時に失敗は、目標に近づく助けとなる』 (投稿)
2005年07月26日
『失敗しないことをいつも最優先に考えて行動していくと、無意識のうちに徐々に失敗していくともいえる。』(「仕事も人生もうまくいく人」の考え方、佐々木直彦)
2005年07月25日
自信を持って面接を受け、手ごたえも得ていた2社。保険として受けた六本木の会社は書類選考でダメ。奈良から岡山に帰ってきたこの1週間はこの3社の結果を待つためにいたようなものでした。もちろん3社とも合格という返事を期待していたのは言うまでもありません。でも現実派厳しかった。そして現実を少し分かった気もしました。面接での手ごたえは、面接官の対応や質問などから「いける」と思ったのですが、面接官は誰でもあのような態度をとるのかもしれない。へんな風にいうと「思わせぶり」…。でも自分なりにアピールできたのも事実です。今日の夜行バスでまた東京に行ってきます。買った切符はもちろん片道切符、決めるまで帰ってこないつもりです。「内定が重なった時の断りの返事が悪い」などという思い上がりはどこから浮かんできたのだろう?笑 少しでも自分にあった紹介状があったのなら金銭面的に折り合わなくても妥協してするしかないと思ってます。でも問題=不利として考えれる明らかな点が二つあります。*男であること。*免許が外国のものしか持っていないこと。この1週間、本などを読んで過ごしったが、自分がいま問題になっている(NEET)=「Not in Education,Employment or Training」になった気さえもしました。何かをしている時に得た休みと違って、今の状態は何かをするにも心から楽しむことが出来ませんでした。思い上がりは消えました、10戦1勝9敗でも良いぐらいの気持ちで挑みたいと思います。いってきます。ニート=15~34歳の若年層のうち仕事をせず、学生でもなく、職業訓練もしていない無業者のことをニートと呼ぶそうです 厚生労働省が10日提出した04年版「労働経済の分析」(労働経済白書)によりますと03年のフリーターは前年比8万人増の217万人、無業者(ニート)は52万人に上ることが明らかになりました。 ニートはアルバイトをせず、就職する意思のない点でフリーターと区別されます。
2005年07月24日
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『世の中で一番楽しく立派なことは 一生涯を貫く仕事をもつことです。世の中で一番みじめなことは 人間として教養のないことです。世の中で一番さびしいことは する仕事のないことです。世の中で一番みにくいことは 他人の生活をうらやむことです。世の中で一番尊いことは 人のために奉仕し、決して恩にきせないことです。世の中で一番美しいことは すべての物に愛情をもつことです。世の中で一番悲しいことは うそをつくことです。』 (「福翁自伝」福沢諭吉)
2005年07月23日
『現実を受けとめて考えられる限り考えて泣くときは泣いて苦しむときは苦しんで自分のできる範囲で精一杯、頑張ること他人に何かを望まずにまずは自分が変わること他人を信じられない気持ちと戦っていつか、打ち勝つこと毎日を全部力にしてもっと、もっといい男(女)になるんだ』 (引用元不明)
2005年07月22日
『自分の目指す通りになれば素敵だが、そうならないのも、それはそれでまたよいものだ、という態度さえ持ち続けていられれば、あなたの人生は大丈夫です。』(「なまけ者のさとり方」タデウス・ゴラス)
2005年07月21日
『「人生で最も難しいことは何ですか」「それはね、過去を受け入れることだよ。過去をありのままに受け入れ、自分や周りの人、社会、歴史、すべてを許してあげることだ。すべての人が、彼らなりのベストを尽くしたのだから。そして、それは全員にとって、ベストだったのだから」』(「スイス人銀行家の教え」本田健)
2005年07月20日
『人間はどんな時でも未来を感じられるんだよ。どんなに短い人生でも、たとえほんの一瞬であっても、生きているという実感さえあれば未来はあるんだよ。あんたにいっておく。明日だけが未来じゃないんだ。それは心の中にある。それさえあれば人は幸せになれる。』 (東野圭吾、トキオ)
2005年07月19日
『命はとても大切だ人間が生きる電池みたいだでも電池はいつか切れる命もいつかなくなる電池はすぐにとりかえられるけど命はそう簡単にはとりかえられない何年も何年も月日がたってやっと神様から与えられるものだだから私は命が疲れたと言うまでせいいっぱい生きよう』 (「電池が切れるまで」宮越由希奈)*この『命』というタイトルの詩は、神経芽細胞腫という病に冒され、この世を去った宮越由希奈ちゃん、当時小学4年生の少女が書いた詩です。わずか11歳の少女が、このような詩を書くことができるのは、誰よりも命の大切さ、尊さを知っていたからなんでしょう。
2005年07月18日
『本当の人の生の価値はどれだけ長く生きたかよりも、短い生の中でどれだけの事を成しえたかが大事。その成した事が子々孫々に受け継がれ、記憶に刻まれることによって、初めてその人物は不死身、いわば永遠となる。そうして人は歴史を作ってきた。』 (引用元不明)
2005年07月17日
7月15日午後9時2分、大好きで尊敬する奈良の祖父が永眠しました。危篤を知り7月15日の午後の新幹線で祖父の闘病中の奈良の病院に向かいました。到着した時には人工呼吸をつけ意識も亡くなっていました。周りには祖父の子供たちや親族が疲れた表情でいました(4日前に急性肺炎で入院して以来、祖父の娘達がずっと付き添いで看病していたのです)カナダから帰国して久しぶりに再会した親族ばかりでしたが喜びも感じる暇もなかったです。祖父の姿をみたら、元気な姿しか見たことがなかっただけに、困惑して可哀想で涙を止めることが出来ませんでした。親族が僕を気にして15分だけ祖父と二人っきりになる時間をくれました。そこで今までの感謝の気持ちとカナダでの生活、そして19日に親族と行く予定にしている北海道旅行のことなどを話しました(そうです、本当にちょっと前までは元気だったのです)笑顔で話そうとすればするほど涙が撮りとめもなく溢れできてうまく話すことが出来ませんでした。今思い返すとこの15分が祖父と二人きりだけで話す最後の時となりました。呼吸や脈も肌の色もすべてが回復に向かっているように見えたので、僕を含む若い人達で病院の近場の小料理やさんで食事をしました。僕らは(なぜか分かりませんが暗黙の了解のように)祖父のことは一度も話さず、それぞれの生活体験などで大いに盛り上がっていました。今思えば、みんな祖父の回復を信じていたうえのでの態度だったのでしょう。そこに祖父の容態の急変の知らせが入り、僕らは急いで病院に向かいました。その時には祖父の呼吸は荒く、周りでは親族みんなが付き添っていました。人間には波動エネルギーというものがあるそうです。高い波動エネルギーが身体に入ると活性化が促進され、 痛みや苦しみが 軽減し、身体は軽やかに感じるそうです。そして身体が活性化して軽やかになり気分爽快になり痛みや苦しみが軽減します。 波動エネルギーと気の働きを信じて祖父の血液の流れが心臓に速やかに行くようにと親族全員が汗まみれになりながら祖父の身体をマッサージしていました。何度も心電図の数値が危険になりながらも、祖父は家族、親族みんなと戦ってくれました。祖父を励ます言葉、祖父の生命力、涙・汗にまみれているみんなを見て「幸せ」と「祖父が一番望んでいたこと」を見たような気がしました。祖父と親族が共に戦っている間、先生方はあえてこられませんでした(モニターで心電図と僕らの様子を部屋から見守ってくれていました。僕らにすべてをまかせてくれたのです。)どれほどたったかわかりませんが、先生方がこられました。みんな手を休めて先生の言葉に耳をかたずけました。「今見ておわかりのように心臓は止まっています。実は15分前にすでに止まっていました。しかしみなさんが刺激を与えることによって心電図が反応していたのです。」冷たい言葉のように聞こえますが、医師としての確実かつ事実をようやく飲み込み、僕らはやっと我にかえりました。僕らはみんな祖父の回復と生命力を信じ、すでに亡くなっていた祖父と15分もの間、気持ちを一つにしてマッサージと励ましの言葉を投げかけ続けていたのです。こうして祖父は94年の生涯に幕を閉じました。まさに大往生だったと思います。最後まで祖父の偉大さを感じました。最後に祖父に会って話せたこと、いっしょに戦えたことができて良かったと心から思います。そしてこのように気持ちを一つにできる親族に恵まれたことに僕も幸せを感じました。「家族、親族がいつまでも仲良く」、祖父が一番願い続けていた気持ちを大切にしたいです。
2005年07月16日
『何となく後味の悪い人間関係心から拭い去ろうといくら努力しても残ってしまう嫌な気持ちわだかまり 中途半端な自分の立場どこに持っていったらいいかわからない腹立たしさ うっとうしさいやだと呟いてしまいそうな心の重い時が 日が誰にでも必ずあるものだままならないことがあるのが当たり前なのだと気づく時新しい生き方がひらけてくる』(引用元不明)
2005年07月15日
『あなたが望みのものを苦労の末に手に入れたとき一日でも王様になれたとき鏡で自分自身を見てみなさいその顔がなんと言っているかあなたの父でも母でも配偶者でもないからですあなたが判断を仰ぐべき相手はあなたの人生で最も頼りにすべきなのは鏡からこちらを見返している人物、すなわちあなた自身ですあなたを率直でいい人だと思う人もいるかもしれないあなたを立派な女、あるいは立派な男と呼ぶ人がいるかもしれないしかし、鏡の中の顔には、おまえは単なる役立たずだと、言われるだろうもし、鏡の中の顔から目をそらすとその人物こそがあなたを喜ばせてくれるだろう最後まであなたを見捨てないだろうそして、これでもっとも危険な試練を乗り越えられたとあなたは知るだろうもし、鏡の中の顔があなたのよき友ならばあなたは世界の中のすべてをずっと甘くみていきているかもしれないちやほやされるかもしれないしかし、最後に受ける報酬は心の痛みと涙だろうもし、鏡の中の顔を裏切ると』 (引用元不明)
2005年07月14日
『大事なことは、自分に与えられた条件の中でベストを尽くすこと。人生において必ず出会う試練を克服しながら、自分という原石をどう磨きこんでいくか。自分なりの楽しみをどう見つけ出していくか。その「過程」にこそ意味があり面白みもある。』(「クラッシュ」レーサー太田哲也さん)
2005年07月13日
『もし、あなたがミスったら、たとえ、それが深刻だったとしても、きっと、第2のチャンスの始まりよ。』”If you have made mistakes, even serious ones, there is always another chance for you.”(マリー・ピクフォード)
2005年07月12日
今日は第一志望の幼稚園の面接に行って来ました(ちなみに就職活動をやり始めて初めての面接です)この幼稚園は英語を喋れる人を求めていてしかも外国の免許も認可してくれ、僕にとってはまさに一番求めていた幼稚園なのです。面接も途中の会話も英語を使ってしました(そのようなこと事前に聞いていなかったので焦りましたが、うまく話し合うことが出来ました)またこれもいきなりだったのですが、英語でのエッセイをその場で書かされました。少々薄れつつあった英語力を絞り出して書き上がることが出来ました。途中お茶を出してくれたりと、アットホームな感じの面接でした。園内の見学もしましたが、笑顔で満ちあふれていました。そして子供達は慣れたばかりの英語で話していました。園長先生もすべての子供達の名前をしていて頻繁に話しかけていました。面接は今日だけと思っていたのですが、今回パスしたら最終面接があると言われました。実技試験だそうです(子供達と実際に触れ合って、その態度を先生方が見極めると言うものです)どうにかして最終まで行き着きたいと思うばかりです。当初は12日の予行バスで帰る予定でしたが、未来の成功を願ってキャンセルしました(そもそも10日間で就職先が決めれるほど社会は甘くないでしょう。正直(経験がないのもあり)少し舐めてかかっている自分がいました、気づいて良かったです。)「決めるまでは帰らない」の精神でいようと思ってます。こんな僕のために宿を提供してくださってくれるみなさん本当にありがとうございます。とても助かっています。その恩に報いるためにもなんとしても就職を決めたいと思っています。これからもよろしくお願いします。
2005年07月11日
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『私は死ぬ前に一人で好(い)いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。』 (「こころ」夏目漱石)
2005年07月10日
『男は、本当に必要ならば、千円のものにも二千円払う女は、二千円が千円になっていれば、必要でなくても買う男と幸せに暮らすには、男を理解しようとしなければならない女と幸せに暮らすには、女を理解しようとしてはいけない女は、結婚したら夫に変わってほしいと思う。でも夫は変わらない男は、結婚しても妻に変わらないでほしいと思う。でも妻は変わる。』 (引用元不明)
2005年07月09日
『失敗をしない人間になるのではなく、失敗に強い人間になる。長い目でみれば、失敗や挫折はない。』 (投稿)
2005年07月08日
「まず自分からなんだよな。まず自分がしっかり立てないと、人を助けることもできないんだな。」「そうでもないぜ、人を助けることで、自分が立てるってこともあるからさ。」「そんなもんか?」「意外にな。」(十二国記「黄昏の岸 暁の天」 小野不由美)
2005年07月07日
『最高の善とは水のごときものをいう。水は万物を助け育てながらも自己を主張せず、だれしも嫌う低きヘ低きヘとくだる。だから、「道」に似ているといってよい。水、それは、位する所は、低い。心は、深く静かである。あたえるに、わけへだてがない。言動に、いつわりがない。おさまるべきときには、必ずおさまる。はたらきは、無理がない。時に従って変転流動して窮まることがない。』 (老子)
2005年07月06日
『人生を生きていると、さまざまな自分と出逢う。情けない自分、格好悪い自分、怯える自分、逃げ出した自分。見たくない、認めたくない自分達と出会う。しかし、彼らを排除してはいけない。彼らは、あなたの一部であり、彼らを受け止めることであなたは完成する。』(引用元不明)
2005年07月05日
『たとえば、それが辛い思い出でも、僕を傷つけるだけの思い出でも、いっそ「忘れてしまいたい」って願いたくなるような思い出でも、忘れずに頑張っていれば、頑張っていればいつか、いつかそんな思い出に負けない自分になれるって信じているから。』(「フルーツバスケット」高屋奈月)
2005年07月04日
『人間は転がる石ころだ。傷つけ合わずには生きられない。だけど知ってたかい?人間は、たとえどんなに傷つけあっても砕けたりはしない。人間は石ころの中にダイヤモンドの原石を持っているのだから。』(「Like a rolling stone」ふみづき彩人)
2005年07月03日
『いまの若者は「自分に合った仕事」を探しているらしい。そんなものはない。そもそも自分とは、仕事で規定される程度の安直なものではない。仕事とは社会に必要性があって生じるもので、それをニーズというのである。自分のために仕事が転がっている。そんなことが論理的にもあるわけがない。社会がまともに動くために、仕事が存在しているのである。』 (京都大学経済研究科教授)
2005年07月02日
日本に帰国してから1週間が経ちました。つい最近までトロントで生活していたことはまるで夢であったかのようです。余りにもはやく日本の生活に慣れてしまいました。今まで日本でずっと生活していたようです。今でもトロントの街並みや友達は思い出せるもの、すでに思い出になりつつあります。今までトロントで撮ってきた数多くの写真だけが、そこで生活していたことの証明になっています。写真を見ると「あぁここにいたんだなぁ。」と思えます。昼間は職業安定所=ハローワークでの職探しや履歴書作りなどをして過ごしてます。回りのみんなはもう社会にでて忙しく働いてます、なので「会って飲もう」などとは誘えません。自由の身であるがゆえに、焦りを感じます。でも日本の生活は時差ボケと、湿気と蚊に悩まされる意外は何も不満はありません。(やはり僕は日本人、日本が大好きです)雨が降らず水不足の岡山、でも打って変わって今日は土砂降りで大雨警報が出ています。不安定な気候がトロントを思い出させてくれます。トロントでの留学生活で培った経験を証明するのはこれからの生活にかかっているんだろう。はやく職を決めて働きたいと思います。
2005年07月01日
『たいていの人が自分以外の人間を変えたいと思う。でも、よく覚えておくんだ。他のだれを変えることより、自分自身を変えることのほうがずっと簡単なんだ。』(「金持ち父さん貧乏父さん」ロバート・キヨサキ)
2005年06月30日
『わたしはありふれた人間だ。ごくふつうの考え方で、ごくふつうの生活を送ってきた。記念碑などないし、名前もすぐに忘れられるだろう。でも、わたしには全身全霊をかたむけて愛する人がいる。いつでも、それだけで十分だった。』(「きみに読む物語」ニコラス・スパークス)
2005年06月29日
『自分の守りたいと思う人。 その人が自分を一番守ってくれる人。その人がいることで強くなれる。自分を見失わずにいられる。なんにでも立ち向かっていける勇気を持つことができる。何よりも生きていく意味を持つことができる。 人間は本当に弱い生き物だ。だけど、「守りたい誰か」のいる人はいつでも、心の中で「守護天使」に抱かれているようなものなんだって。 どんなにでかくても、強くても、人間は独りでは生きてはいけないんだ。 だから、君の「天使」を大切に。』 (引用元不明)
2005年06月28日
『人間は、ハッキリとした目標をもって行動する時、そのもてる能力を十分に発揮することができる。』 (マクスウェル、コレツ)
2005年06月27日
『ワインは時が経てば経つほどコクを増すが、それは、もともとのブドウそのものがよい場合だけに限った話だ。』”It's true some wines improve with age.But only if the grapes were good in the first place.”
2005年06月26日
『天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生るるに時があり、死ぬるに時があり。植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり。泣くに時があり、笑うに時があり。悲しむに時があり、踊るに時があり。捜すに時があり、失うに時があり。保つに時があり、捨てるに時があり。愛するに時があり、憎むに時があり。戦うに時があり、和らぐに時がある。』 (旧約聖書 伝道の書3:1-8)
2005年06月25日
思い返す、飛行機の中で思い返しているのは「頼る者は自分だけ、孤独でたち降りた蒸し暑いトロントの夜のネオンの風景です。」目を閉じるとその日がつい最近のことのように思えます。あれから今日まで、楽しいことと辛いこと、悲しいことの経験を繰りかえし今日まできました。多くの人に出会い、少ないながらとても大切な友も出来ました。飛行機がトロントを離陸する時、なぜか悲しいとは思いませんでした。それは当初の目的を(暗中模索しながらも)果たし、自分自身も多くのことを吸収し成長を感じること=自信を持つことが出来たからだと思います。なんと年が経つのをはやく感じたトロントの生活だったでしょう。日本人であることの誇りを思い返し、日本という島国の素晴らしさを大いに感じました。(そんな時は決まって第二次世界大戦の敗戦の焼け野原から「日本のために」という強い気持ちを持って復興に力を出してくださった方々を思い出します)またこのような機会を与えてくれた両親、応援してくれたみなさんに感謝せずにはいられません。『人間はみんな孤独な生きものです。でも人間は一人では生きていけない。』そう思わずにはいられませんでした。孤独を感じた時も、僕はいつも一人ではなかったのです。その場にいなくとも言葉や手紙で多く励まされました。あの時、あの言葉がなかったら僕は現在(いま)日本の地にたどり着くことが出来てなかったかもしれません。あの時、あのような行動をしてきたから現在(いま)の僕が存在します。そう考えると人生には無駄な行動など何もないと思います。「FAILE=落第」というものが必ずしも悪いことではないとも思うことが出来ました。次に繋げることが出来れば、無難に何かをパスするよりも「落ちる」→「やり直す」という行為は価値あるものかもしれません。外国の地で、(まだ)女性だけの環境で、幼児教育と言うものを経験することが出来たことは何事にも比べがたいほどの体験」となりました。人と「苦労」を比べあうことには何も意味は持ちませんが、このような場面の辛さや悔しさ、悲しみを体験した男はそういないと思います。それを絶えて目的地にたどり着けたことは自分自身を誉めることも出来そうです。でもこのトロントでの経験が本当に良いものであったと言い切ることが出来るのは、これからの生活にかかっているのだと思います。日本の社会で結果を出さねばいけないと。日本という小大国が世界に通用するためにはやはり努力が大切なのだと思います。トロントではバレーボールやテニス、野球を外人とする機会を持つこともできました。そんな時始めにまず直面するのは「なめてかかられる」と言うことです。日本人(アジア人)と外国人との体格さには歴然としたものがあります。日本人はそれをカバーするために基本をしっかりと身に付け、それにさらに努力を付け足します。そうすることで外国人に対抗することが出来るのです。外国人は恵まれた体格があるために力で対抗しようとします(努力を怠る人が数多くいるようです)僕は171CMほどしか身長がないので、バレーボールなどをする時はまさに「なめられます」。でも中学の時の厳しい練習で習ったこと(基本も含めて)で外国人にも充分対抗することが出来ました。始めの時と目の色を変えて向かってくる彼らを見るのが常でした。人は何かが足りない時、他の何かでそれを補うことが出来ます。そういう意味で人は平等なのだと思います。例えば背が小さいとしても恥じることはない。その背でしか見ることの出来ない風景があるものです。日本の地に降り立った時、あの頃よりも大きくなった自分がいました。「帰る家があること、迎えてくれる人がいることが、当たり前のようで、実はとても幸せだ」と思える心を持つことが出来ました。もしかしたら留学の目的としていた「英語の上達」「大学での幼児教育の勉強」というものは形だけのものであって、本当は目に見えない「自信」「誇り」「寛容」などの成長を求めて異国の地に行ったのかもしれない…。
2005年06月24日
思い返す、レベル8を卒業した後すぐにECE(幼児教育)のコースで勉強できると思っていました。しかしそれは甘かったです。幼児教育のコースは大人気らしく1月からのやつに申し込むことが出来ませんでした。ちょうどよくかわかりませんが、いろんなことが重なりグレイハウンド=長距離バスの1ヶ月乗り放題パス(アメリカも含む)を使って一人旅に出ることにしました。日本でもこのような大それた旅をしたこともなかったし、ましてや英語圏での旅、不安で一杯でした。この旅では多くの親切な人々に出会い、そして何よりも「自信」をつけることが出来ました。今までトロントにいながら近場のナイアガラにしか行ったことがなかった理由には「自信」がなかったことにあります。「どうせ聞き取ることも、喋ることも出来ない」と逃げていたのです。でも「機会=チャンス」は上手い具合にやってくるものです。そしてそれを上手くつかんだのが良かったです。トロントに住んでいてここまでの大規模な旅行にいけたのはこれが最初で最後でした。大学は思っていた通り女性ばかりのクラスでした。それでも得意の(?)冗談と積極性で友達を作ろうと初日から試みましたが、結局”友”といえる人は作ることが出来ず、孤独な、あまりにも孤独な日々を過ごしました。食事も、クラスも一人机に座っていることは寂しくやりきれない気持ちで一杯でした。5人ほどのグループでする課題もいつもグループに所属することが出来ず、先生が「GBを入れてくれる?」と生徒に聞いて初めて入ることが出来る状態でした。辛かったです。大学の校舎にいって勉強するのは毎週月曜日から水曜日です(1コマ3時間)木曜日と金曜日はデイケアに行って実習をします(朝9時から夕方5時まで)実習も初めての体験ばかりで非常に戸惑いましたが、子供達と接することが週で何よりも楽しみとなっていました(基本的に実習は肉体的にも精神的にも疲れるのでみんな学校での授業の方を好んでいます)2回目の=最後の実習先ではチームメイト(他の先生方)とのコミュニケーションがうまくいかず能力を発揮することが出来ず、ここでトロントで2回目のFAILE=落第を経験しました。「やる気は感じるけども、幼児教育者としての能力に達していない」と言うのが落ちた理由でした。落ちるとは思っていなかった上での結果だったのでその時の落胆振りは大きなものでした。「もう諦めて日本に帰る」とさえ思ったほどです。でもそんな時トルコ人のベッシーと言う先生が僕に投げかけてくれた言葉 "GB!Never give up!" が僕を再びたち直してくれる切っ掛けになりました(あの時僕を優しく抱きしめていっしょに泣いてくれた時は今でも鮮明に覚えてます)そしてMAKE UPとして3回目の実習に望みました。ここでは2回目の失敗をしないように日々全力で、かつ幼児教育者として相応しい行動をとるようにしました。そして先生の良いと思った行動はその場ですぐに真似をして吸収しました。僕を担当してくれたアンドリアという先生はとても穏やかで時には厳しく、そして僕が目指す幼児教育者として適任の人でした。これもあの日「落ちた」ことによって出会えた人でした。前にFAILE=落第と書きましたが、「落ちること自体は恥ずかしい行為ではない」と思うようになりました。「落ちたこと」によって自分を見つめなおし、反省して新たな思いで事に立ち向かうことが出来れば、それはとても素晴らしい体験になります。「落ちて」そこから何もしないという行為こそが最も恥ずかしいことなんだと、思わずにはいられないです。…続く
2005年06月23日
思い返す、トロントに来て随分な歳月が経ちました。学生時代一番苦手な英語と何の因果か付き合うことになりました。文法はわかっても、聞き取りと喋りはまったくというほどダメな状態できました。今でこそ笑って言えますが、ESL=語学学校に通っていた当初は、先生に宿題を出されたことさえもわからないレベルでした。常に電子辞書を片手に行動をしていました。会話の度に余りにも辞書を使う僕を見て、外国人の友達は不思議そうに僕を見ていました。その度に”This is my treasure” と口癖のように言っていたのを思いだします。ジョージブラウン大学のESL(英語学校)はレベル3からのスタートでした。3週間ばかり通った小さなESLとは質も値段もまったく違い大いに戸惑いましたが、多くの友達と良き先生に恵まれ毎日元気一杯に学校に通うことが出来ました。ジョージブラウンのESLはレベル8まであって、レベル8の最後の試験をパスすればTOFLEスコアを持っていなくても大学に入学することが許可されるシステムになっています。TOFLEのスコアを持っていない僕は、このESLでレベル8を卒業して、今回トロントの留学の最大の目的の「ECE=幼児教育」の勉強をすることを夢見て毎日通いました。毎回LISTENING=聞き取りテストの結果は悪いもののなんとか順調に2ヶ月毎にあるレベル上げテストをパスしてきました。そんな順調にいっていた生活でしたが、レベル7の最終テストのLISTENINGの結果が思わしくなく始めてのFAILE=落第を経験しました。FAILEしたら同じ事をまた2ヶ月する制度になっています。落ちたという恥ずかしさもともない、この期間は落ち込みながらすごしたものでした。でも同じ過ちは二度繰り返さない精神でレベル8にもこぎつけ卒業することが出来ました。卒業証書を手に撮った写真はそれまで撮ったどんな写真よりも嬉しそうな顔をしていました。…続く
2005年06月22日
死んだあの人は、死んだその日から歳をとることはない。僕は26歳になったが、彼は20歳のままだ。彼が不慮の車の事故で死んでから5年が経ったのか。今でも昔の写真に普通にいる彼。その頃の僕達には彼がいなくなるとは微塵とも思いもしていなかった。「死のうと思ったこと」は一度もありませんが、「何のために生きているのか」を自分自身に問いかけたことは何度もあります。自分が何を目的に生きているのかわからなくなったり、平凡な時間を余りにも長く過ごした罪悪感に悩まされたり。生きていることのありがたさは身にも心にもしみるほど分かっているのに、両親にも感謝しているのに・・・ある時にその感謝を忘れてしまって過ごしている。気持ちがあっても行動がそれに伴っていないからだ。いろんな経験や出会いを繰り返して今日まで26年間生きてくることが出来ました。「生きている=生かされている」という根本的な幸せなことを忘れずにこれからも日々を暮らしたいと思います。誕生日に集まってくれたみんな、そしてメールや電話をしてくれてみなさんありがとうございます。これからもよろしくお願いします。『あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日。』(カシコギ)
2005年06月21日
『あの時こうしてたらって思うよりこれでよかったって思おうよ。いま生きているんだから。あの時こうしてたらって思うよりいま出来ることを考えようよ。チャンスはあるんだから。』 (投稿)
2005年06月20日
『「あの時こうしていたら…」ということが、最初から全部できるのなら、努力も何も必要ありません。』(「スポーツ心理の専門家」岡沢祥訓)
2005年06月19日
『人生にむだというものはないもので、しかし、後にならないと、その意味がわからないということがたくさんある。』(「生き方上手」日野原重明)
2005年06月18日
『人生が歌のように流れているとき、人はだれでも陽気でいられる。しかし、何一つうまくいかないとき、ほほえむことのできる人こそ、価値ある人。なぜなら、心の試しは苦しく、時とともに必ずだれにもやってくる。』(ヘイゼル・フェリマン「1936年アメリカ人最愛の詩」)
2005年06月17日
『考える時間をとっておきなさい、それは力の泉である。読む時間をとっておきなさい、それは知恵の泉である。親切にする時間をとっておきなさい、それは幸福の道である。笑う時間をとっておきなさい、それは魂の音楽である。働く時間をとっておきなさい、それは成功の代価である。』 (投稿)
2005年06月16日
『学問というものは答えの早さがし競争ではない。提起された問題に対して、ときには自分自身でつくった問題について、ああでもない、こうでもないなどとじっくり腰をおちつけて考えることが学問である。』 (都筑卓司)
2005年06月15日
『人のいるところには、必ず最低のものと同時に最高のものもあるの。憎むことにエネルギーを無駄使いしてはいけない。最高のものを探し続けなさい。流れに身をまかせて、謙虚でいなさい。』(吉本ばなな「王国 その1アンドロメダハイツ」)
2005年06月14日
『人間は皆、自己中心的なんだよ。「世界が平和になるなら自分は死んだっていい」「愛しい人(親や恋人)が助かるなるなら自分はどうなってもいい」どっちも自己中心的には見えないかもしれない。でも、よく考えてみて。どっちも「自分」がいいからいいんでしょ?「自分」が満足するってこと。だから自己中心じゃない人なんていないんだよ。』 (投稿)
2005年06月13日
『成功しないということは感謝すべきだ。少なくとも成功は遅く来るほどよい。そんほうが君はもっと徹底的に自分を出せるだろう。』 (モロー)ようやく実習の成績がわかりました(実は1週間前にわかっていたのですが)率直に結果を言えばB-でした。僕は毎回の実習で全力を尽くして取り組みましたし(=やる気)、能力も幼児教育者として相応しいほどの力をつけてきたつもりです。そしてそれらから断固たる自信をつけることも出来ました。でも独りよがりということもあるので、自分の行動に不安を感じた時などは積極的にアンドレアやシンディーなどのチームメンバーに質問しました。ミスは素直に認め、そしてすぐに同じ過ちを繰り返さないようにしました。子供たちとも常にコミュニケーションとるように努めたので、彼らもすぐに心を開いてくれました。彼らから積極的に抱っこを求めてきたり、手を繋ぎにきたりした時は本当に嬉しかったです(何よりも名前を呼んでくれたのが嬉しかった)デイケアの部屋をより明るく楽しいものにするために手作りの工作作品も数多く飾りました。そこには折り紙や得意の絵を張ったりしました。毎回子供たちのために与えるACTIVITIESも彼らの能力を考えた上で作りました。その努力も実って彼らは楽しそうに僕の考えたオリジナルのACTIVITYで遊んでいました。「GBのACTIVITY好きかい?」と聞いたら「Yeah!」と答えてくれるのがたまらなく嬉しかったです。前回の実習を落ちたことによって現在(いま)の僕がいます。前回の実習も毎回やる気を持って取り組んでいました。子供たちとも仲良く過ごすことが出来ました。(ただ残念ながら(1人の)チームメンバーとうまくコミュニケーションをとることは出来ませんでした)あの頃は先生の指示を常に待っていたように思います。自分から積極的に動くことは出来なかったし最低限のことしかすることが出来ませんでした。「やる気」はあっても能力は到底幼児教育者としての域には達していなかったと思います。「落ちた」時はそれはたまらなく悔しくて辛かったです。「今日の(落ちるという)結果を予測していたか?」というようなことを聞かれて机の下で握りこぶしを固めたことを思い出します。そしてこの実習で落とされたことがトロントに来てからの第二の挫折となりました。自暴自棄になりすべてを諦めて日本に帰ろうとも思いました。でもデイケアを去る前に仲良しだったトルコ人のベッシーが僕に投げかけてくれた言葉 "GB!Never give up! Don`t give up!"悔しさで押し殺していた涙が溢れ出てきました。そんな僕をベッシーは優しく抱きしめてくれて背中を叩いてくれました。その言葉があったから立ち直れたのだと思います。新しい実習が始まった時、僕は「前の先生を見返してやる」という気持ちでいました。でも新しい実習を始めるにつれてそんなちっぽけなことは忘れてしまっていました。毎回「笑顔」「楽しむ」「何か一つを学ぶ」と言うことを目標にして取り組みました。でも結果はB-でした。何が足りなかったのか、こんなに頑張ったのに。でも今回の実習での自分に対しては自分でAをあげれると思います。自惚れなどではなく自分がとってきた行動や気持ちの問題から言ってです。見かけの点数では思いどうりのものが取れませんでしたが、それ以上に得たものは多いかったです。『人間万事塞翁が馬』=人間先の事は何が幸いとなり何が災いとなるか、わからない という言葉があるように前回僕は実習で「落とされた」ことによってかけがいのない経験と能力を身につけることが出来ました。あの時「諦めていたら」たどりつくことのなかった現在(いま)。ようやく胸を張って日本にかけることができます。(5月5日;カサ・ロマまで散歩)(5月12日;風が強い日だったので遊び場にツルを吊るす)(5月19日;室内の壁に子供達の写真を折り紙のやっこさんといっしょに貼る)(5月30日;水槽に手書きの魚屋、布で作った虹色魚を入れて飾る)(5月26日;ベランダで子供達と遊ぶ)(6月3日;散歩の途中で水分補給)*本当はもっと写真を載せたいのですが子供達の写真を公用の場以外で使うのは厳しく禁止されているので残念ながら載せることが出来ません(たまに載せいるのはうまい具合に子供達の顔が写っていなかったりボヤケているのを使ってます)
2005年06月12日