四つ葉のクローバー=幸運を探しに 番外編
幸せって一度見つける、不思議なくらいにどんどん舞い降りてきます。四つ葉のクローバーもそうです。もし一つ見つけたならその付近にはまだあるはずです(突然変異で四つ葉になったのならその付近には他のところを探すよりも高い確率で同じ四つ葉があるはずなのです)昔の僕なら一つ見つけたらさらに探そうとしていたと思う。幸せ=幸運はあればあるほどいいし。人間って(僕って)結局は欲の固まりだと思います。見つからない時は「一つだけでも見つけたい!」と思っていたくせに、一つ見つけると「さらに欲しい」と思う。僕はこの一つを見つけたとき本当に嬉しかったです。でも正直言うと見つけた後さらに探そうとしようとしましたが…やめました。欲深い自分が嫌だったし、何よりも見つけれたことが嬉しかったのです。結局は本を読むことはせずに家路に向かいました。なんだかとても幸せ=温かい気持ちになれました。でも不思議です、無数にあるクローバーのことだからもちろん僕が虱潰しに探したつもりの場所にもあったでしょう。僕が選ばなかったクローバーの群集の中にもあったでしょう。何よりも座り込んだ時に自分の体の下に踏み潰されていたクローバーの中にも四つ葉のクローバーはあったかもしれません。逆に言えば探しまくっていた群集の中にははじめから四つ葉のクローバーはなかったかもしれないのです。それでも「もしかしたらここにはあるかもしれない!」「ここであきらめたら何のために探し続けたのか?!」と思い探しました。幸せってどこにでも転がっているものなのかもしれません(意外と身近に)例え四つ葉と言う珍しいクローバーを見つけれなくても、やはりそれを探そうとする行為は素敵だと思います、幸せを得ようとする行為は。そもそも四つ葉のクローバーは自然界では10万分の1の確率でしか発見できないために、幸運をもたらすシンボルと言われるそうです。だから人はそれに価値を見出すのだと思います。四つ葉のクローバーにこだわらずとも、三つ葉のクローバーもそれぞれが個性があり一つとして同じものはありません。結局は気持ちの持ちようなのかもしれません、幸せも! 『「自分は不幸だ」と嘆いてばかりいる人。 その人は気づいていないんだろう、自分のまわりにある幸せのカケラ…。』