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カテゴリ:History 歴史
↑ 長門 長門は、終戦まで生存した唯一の戦艦なのです。 八八艦隊計画の最初の戦艦として、大正9年竣工。 ワシントン海軍条約により建造に制限され、当時姉妹艦陸奥などと共に世界最強のビッグ7と呼ばれ、太平洋戦争の開戦時には連合艦隊旗艦(大将旗を掲げる艦、つまり大将が乗る艦)として山本五十六大将も坐乗。 真珠湾攻撃開始に際し、「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号を打電したのは長門から。 捷一号作戦、あ号作戦、ミッドウェー海戦、レイテ沖海戦などに参加。 戦時中は、大和や武蔵の存在は国外・国内にも機密であったため、この長門と姉妹艦陸奥が日本を代表する戦艦として国民に人気がありました。 大和へ連合艦隊旗艦を譲った後、長門は終戦の年連合艦隊から第一戦隊へ艦籍を移り、さらに予備艦へと編入。 国力に大差のあるアメリカとの戦争は、資源不足にも泣かされた日本ですが、終戦間近になると機動可能であるにも関わらず燃料がなく身動きが取れない艦艇が呉港などに停泊中に空襲により沈没。大和の沖縄特攻で沈没、長門は本土決戦のための特殊警備艦として横須賀に停泊。長門もまた空襲に遭いますが、持ちこたえ終戦を迎えました。 生存する唯一の戦艦であった長門は、終戦後アメリカに接収され、艦籍もアメリカへ移り、終戦翌年(昭和20年)横須賀を出航。 行き先は、マーシャル諸島のビキニ環礁。 1954年に第五福竜丸が死の灰をあび被爆した、ビキニ環礁。水爆実験。 長門は、軽巡洋艦酒匂や、アメリカ戦艦とともに、原爆実験の標的艦として、クロスロード作戦へ使用されます。 第一回目は空中爆発実験。 爆心予定地から400Mのところへ配置されるが、爆心そのものがずれ、結局爆心1.5Kで被爆。爆心地から遠かったこともあり、ほぼ無傷で航行上問題なし。アメリカの戦艦の数々や酒匂は、この実験翌日に沈没。 第二回目は水中爆発実験。 今度は至近距離に置かれ被爆。 5度の傾斜を生じるが、海上に浮いていましたが、実験から4日後長門の姿はありませんでした。誰にも看取られることなく、転覆し沈没したと見られています。 現在長門は、沈没して海底で眠っています。 この沈没地点は、ダイビングポイントとなり観光を支えているそう。沈没しているとはいえ、長門はビッグ7として唯一形が残っている戦艦です。 第一回目の実験にて、爆心地から離れていたとはいえ、そのタフさがアメリカ軍関係者を驚かれ、最後は世界最強のビッグ7の名に恥じない最後・・・最後の姿を誰にも見せず生涯を終えました。そんな長門の生涯にとても惹かれ、長門が好きな理由です。 ダイビングには興味がないんですが、いつか長門が眠っている海を潜ってみたい・・・長門には、会わなきゃいけない。 資源が乏しいが、優秀な技術で長門や大和を生み出す。特に大和は「不用の長物」と言われることがありますが、生かしきれなかったのは戦略、国力、指揮官であり、大和そのものが不用だったとは思いません。 長門は唯一生存できたのに、接収され、原爆実験へ使用される。 沖縄陥落後、敗戦の色が濃い中、本土決戦に向けて、まさに国民総特攻。 犠牲より、敗者として生かされることを恥じた日本。 原爆投下で尋常じゃない被害をもたらされた広島・長崎。そして、終戦を迎える日本。なのに、長門まで原爆で生涯を閉じるなんてという気持ちです。 長門が生まれた呉市、原爆が投下された広島市。 近代の戦争史を考える上で、広島県とはやはりこんな理由で思い入れが強いのです。 最後にですが、実に興味深いことが。 アメリカ人の友人に、ビキニ環礁のことを話すと、ビキニ環礁自体を知らなかった。彼も結構賢い人で、以前に東條英機のことを話したのですが、このことは知らなかった。まぁ、日本でも教科書の中でここまで取り上げていないし、そっかぁとも思いましたが。 アメリカでは戦争について、どこまで教育の場で取り上げているのか、これもまた興味深いです。 初め、私が戦艦が好きと言うと爆笑していましたが、長門の生涯、日本の技術、終戦近くの日本の状況を説明すると、このアメリカの友人も、それから2回だけ英語を習ったニュージーランド人は、とても興味深いと言っていました。 今回長門について取り上げましたが、大和のほかに、こんな戦艦があったんだ、そんな最後を迎えたんだと思って頂ければ、とてもうれしいです。 ↑ クロスロード作戦へ臨む長門 最後の任務だと長門が悲しんでいるように見えます。 見る側の私の気持ちがそうだから、そう見えるだけですが・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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