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カテゴリ:コミュニケーション・生活
ひとの名前呼べない病【吠えてるんじゃなくて ないてるんださま】
私の場合、同僚や上司、クラスメイトなどといった、知人程度の人であれば、苗字+さん(あるいは君)で呼ぶことはできる。また、友人と呼べるぐらいであれば、あだ名で呼ぶぐらいのことはできる。 問題は、その間の微妙な距離の人で、苗字+さんで呼ぶには他人行儀に感じるが、かといってあだ名で呼ぶのはどうも馴れ馴れしいように感じてしまう場合があって、そういう時どう呼んでいいかわからず、名前を呼べない場合が多い。 また、私は姓、名にかかわらず、呼び捨てにするといういことに抵抗があるようで、親しい人でもあだ名などの愛称がない場合は、同じような状態になりがちだったりする。 そのせいだろうか、私は一対一で会話する場合、相手の名前を呼ばないで会話しているケースがよくあるように感じる。 内向的な気質にもよるのだろうが、私はどうも他人とうまく心理的距離をとっていくということが苦手のように思える。 おそらく、こちらが思っているほどには、相手は「自分がどう呼ばれるのか」について、気にはしていないのだろうとは思う。現に自分が呼ばれる場合でも、へんなあだ名で呼ばれるとかでなければ、あまり気にしないことが多いものだし。でも、そうはわかっていても、なかなか実行には移せないようで…。 あるいは、「誰かの名前を呼ぶ」「名前を呼ばれる」ということに過剰な意識があるのかもしれない。 そういえば、私はブログ上であっても、誰かのHNを呼んだりするということがほとんどないように思える。それは、相手の人がここを読んでいないかもしれないとか、書いていることが自分語り中心だということもあるのだろうけれど、そのことを抜かしても、あえて呼ばないようにしているんじゃないだろうか。 というのも、私は誰かのブログで自分のHNを呼ばれると、変に意識してしまったり、わけもなくドキッっとしてしまうことがあるからだ。それもその記事が私の記事に言及したものでなかったりしたら、さらにその度合いはアップする。回数も関係あるようで、同じ記事の中で何度も呼ばれていたりすると、妙に恥ずかしいような感じがしてしまったりしている。 ちょっと呼ばれただけでこんな状態なので、私のほうから誰かのHNを呼ぶということに対しても、同じように妙に意識してしまっているんじゃないだろうか。 まあ、私の場合、一種の自意識過剰なのだろうけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 27, 2006 10:57:12 PM
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