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カテゴリ:コミュニケーション・生活
いい人をやめる【メモさま】
嫌いというか、接していると、どうもどこか嫌な感情が喚起される人というのは、ほんと、どこにいってもいるもんだな…と感じている。 私自身が人見知りしたり、嫌なところに過敏なせいもあるのかもしれない。 その度に場所を転々と変えていくわけにもいかないのだから、ある程度はそういう人とも付き合っていくしかないんだろうとは思っている。。 『(嫌いな)相手に、期待しない、何も望まない』という部分には共感できるのだけど、その相手が毎日のように顔を合わせ、仕事や生活に身近に、密接にかかわってくる場合だとなかなかそうもいかないみたいで、いつのまにかいろいろな部分で要望のようなものが出てきてしまっていたりする。 相手に期待しないでいられるための距離感を得るためには、物理的にも一定の距離を置く必要があるのかもしれない。ことに私の場合は。 私の短気が問題なのか、相性の問題なのか、ちょっとした言い合いみたいになることはよくあって、そのときに勢いも手伝ってその要望をぶつけてしまったこともある。逆に、相手からいろいろ頼まれごとなり、要望なりをうけることもよくある。 別にぶつけてしまった要求に相手が応えてくれると思っているわけでもないし、正直、そんなに期待しているわけでもないつもり。 実際スルーされて、向こうの言い分だけ通されることもよくある。かといって、相手の言い分だけを全部飲むのも癪だから、それは応えられる範囲だけに留めたり、拒絶してみたりしている。 それでも、何度か応えてくれたこともあったから、決して意図したわけではないのだけど、結果的にぶつかりあいながら着地点を模索しているような感じになっていってる部分はあるのかもしれない。 それに、嫌いな相手ではあるんだけど、四六時中嫌いな思いを抱いているわけでも全てが嫌に思っているわけでもなかったりする。 気持ちは振り子のように揺れ動いていて、時々凄く嫌いにもなれば、とくにそういった感情を抱かない時もある。 嫌いなところというのも、何というか部分的なようで、凄く嫌いな部分がある一方で、自分も見習いたいとさえ感じる部分もある。 ちょっとしたぶつかり合ってしまうことこそ多いのだけど、そこで相手の関係が悪化して、深刻な対立を生むことは今までの時点ではなかったりする。 思ったことは、少しぐらい角が立つことでも結構ぶつけてきたりするからなのかもしれないが、トラブルに対して禍根を残すようなことはなく、覚えていても陰湿な方向に向かうもないみたいなので、実はそういった部分では、むしろ相手に助けられていたりもするのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 11, 2007 12:47:29 AM
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