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カテゴリ:コミュニケーション・生活
「鈍感」よりも「過敏」な方がいい。 【オオカミの遠吠え通信さま】
私は、どちらかと言えば「敏感」な方に入ると思う。 とはいはいっても、私の場合、全ての言葉に対して「裏」を読めるというわけでもなく、自分に向けられているのかどうか怪しい「悪意」や、自分にとって痛みとなりうる言葉にばかり過剰なまでに裏読みしてしまっていたりする。 逆に、「言葉こそ乱暴だが、本心ではそうではない」などとという場合は、相手との付き合いの長さなどに関わらず、額面どおり受け止めてしまいがちだ。 冗談めかしたからかい言葉なんかもそうで、よく私は相手が本気かジョークかを見極められないまま、「ネタにマジレス」をしていることがある。 おそらく、ストレートではなくて遠まわしに要望や本音とかを伝えられたとしても、それを察することなく、そのまま流してしまうんじゃないだろうか。 また、私は、自分が傷つけられることにこそ敏感だが、そのわりに、自分の言葉が誰かを傷つけるということに関しては、どうも敏感とは言いがたいようだ。 そのため自分の心無い言葉で誰かを不用意に傷つけてしまったりすることも多く、その度に、自分が発した言葉の威力に対していかに配慮がたりなかったかを思い知らされる。 結局私は、自分への痛みに敏感なだけで、言葉の「裏」を読み取れるわけではないのだろうと思う。 どうせ、敏感であるのなら、自分への痛みに対してだけでなく、他の要素に対しても敏感になれないと、その敏感さを生かせないように思えてならない。 自分に対するネガティブ要素に対してのみ過剰に裏読みするというのでは、「鈍感」な人とそう変わらないのではないだろうか…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 23, 2007 01:10:08 AM
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