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カテゴリ:コミュニケーション・生活
愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ0.2
【うどんこ天気 さま】 私は基本的な感覚としては左上なのかな。でも、時々ネタかマジかの判別のしにくい罵倒のやりあいなどからトゲトゲしさのようなものを過剰に感じ取ってしまい、不快感が催されることもよくあるので心情的には右上に近いのかもしれない。 とはいっても、「潔癖」というわけでもないつもりで、基本的に当人同士、コミュニティ同士で容認されている分には、別にかまわないんじゃないかな…と思っている。 それに罵倒とまではいかなくても、ちょっとした軽口の叩きあいや、からかい、いじりなどなら、ネット上ではともかく、オフの場では、時々私もやられたり、やりかえしたりしていたりはするので。 罵倒云々にかぎらず、特定の集団や組織などにある程度長く関わっていたりすると、その集団の中で、他の人に対するちょっとしたわがままやちょっと困った行為を行っても、何故かとくにおとがめもなく容認されてしまうポジションにいる人というのが結構出てくるように思える。 私は、そういう人に振り回される側であることが多いと感じるせいか、その人の一見傍若無人とさえ思えてしまう行為がなんとなく容認されれていることに、強い不快感を覚えることが多いような気がしている。 ただ、私自身、所属する集団に対してはかなりの迷惑をかけているにちがいないはずで、自分が気づいていないだけで、私だって本来なら許されざる部分を容認してもらっているのかもしれない。 罵倒しあえる関係での許せる罵倒の許容範囲の見極めが難しいな、というのはよく感じているところ。それ以外だと、周りから、なにかとからかわれたり、いじられたりするようなポジションの人がいる集団でのいじられる側の許せる許容範囲も同様なような気がする。 私が鈍いからなのかどうかはしらないが、こういった関係の見極めに対しては、その集団などから少しはなれたところに自分がいたりすると、うまく判断ができていないことがよくあって、絡まれたりした場合、ネタにマジレスをしてしまっていることも多い。 ただ、場合によっては当人同士ですら、明確な許容範囲が互いに違っている場合があっても不思議ではないとは思う。 許容範囲内だと思っていたやりとりが、実はただ単に我慢してくれているがゆえに表面化していないだけでおもいっきり地雷原に踏み込んでいて、何かをきっかけに鬱積したものがあふれてしまい、トラブルになってしまう…なんてこともあるのかもしれない。 どちらにしたって、通常のコミュニケーションにたいしてすら、うまくいっていないと感じてしまう私などが手を出せる領域ではないなぁと、勝手に思っていたりはしているんだけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 14, 2007 12:19:48 AM
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