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カテゴリ:瑞典生活
Lucia
12月13日はルシア祭。全国各地、あらゆるところで早朝からルシア(歌とルッセカット、グロッグ、ペッパカーコルのもてなし)の催しが行われました。 L家の次女Lが歌を歌うということで、私はLママ、長女Sとともに、次女が通う中学校へと向かいました。この中学校では、Luciatåg(ルシアトーグ)と呼ばれる、頭に蝋燭の輪をつけたルシアに続き白装束の歌姫達、サンタ、星たちが続いて入場後、演奏。なかなかモダンな演奏で、伝統的な歌とともに、アレンジが豊富にされていました。 ちょっと暗いですが、こんなルシアたちでした。 高校訪問と終業式 12月15日は初の高校訪問。場所はこの地域で唯一の高校ですが市外からの希望者も多いという人気のH高校。スウェーデンでは、日本の一般高校のように文系、理系、というようなわけ方ではなく、高校に入る時点でいろいろなコースに細分化されており、好きな分野を集中して学ぶことができます。例えば、この学校には全国で唯一のドラム科、インネバンデュ(インラインホッケー)科などもあるそうです。 私はこの高校のsamhälleprogrammetと呼ばれる、世界中の社会について学習する学科を訪ねました。女子が多いグループで、高校3年生なので見かけはもう大人のよう(というか、私より大人っぽいです)。序盤は質問も上がらず静かでしたが、徐々に手を挙げての質問もみられるようになり、最終的には授業終了時間を30分ほどオーバーする形となりました。予め日本に質問をもらい、それに答える形で授業を進めていきましたが、どうも日本という異国はスウェーデンの若者にとってエキゾチックのようです。 今回の研修では6歳児から高校生まで、さまざまな年齢の子ども達と知り合うことができるのがとても嬉しいです。 そして、夕方からは2学期最後の日本人補習学校での授業。9月から担任をしはじめて4ヶ月間。小山あり大谷あり、他の先生、ご父兄に助けられながら試行錯誤の日々ですが、何とか終業式を迎えることができました。3学期も大きな波が予測されます。学校に来たい、学校が楽しい」と思えるような学級作り。これはとても大きなテーマで難しいですが、補習校のように小さな学級であっても、だからこそ、このことを常に忘れずに過ごしていきたい、と思っています。 お別れ会とjulbord 12月13日は、10月から2ヶ月、私と同じハリダコミューンで研修をしていたAくんのお別れ食事会をしました。Aくんが来たのはまだそんな前のことのようには感じませんが、気づけば2ヶ月、経ってしまいました。ニッケルハルパのレッスン後、Mちゃん宅へ。Mちゃんはお鍋と豚の角煮を用意してくれていました。Aくんには、海外在住スウェーデン人が恋しくなるキャビア、クネッケブロード、マラボウチョコの3点セットをプレゼントしました。とても楽しい晩餐でした。 これから帰国までの、彼のサバイバル旅がうまく行きますように。 12月15日、午後、6年前の同僚と5年ぶりの再会を果たした後、同郷のMちゃん宅で開かれたクリスマスパーティーに行きました。総勢20人以上、日本人留学生と、日本語を勉強しているスウェーデン人が混ざった賑やかなパーティーとなりました。このMちゃんはまだ若いですが、スウェーデン生活の先輩、ガッツがありとても頼もしいです。彼女の空気を感じた途端に方言が爆発する私であります。 Mちゃんはいつも素敵な企画をしてくれますが、ずっと行くことができず、今回が念願の初参加でした。クリスマスの食卓はjulbord(ユールボード)と呼ばれ、豚肉のハム料理や、ミートボールを中心にご馳走が並びます。宴は夜遅くまで続きました。 Aくんの宴主催者のMちゃん、julfest主催者のMちゃん、Mくん、楽しい時間をどうもありがとう。 そしてもうひとつ、v.50の忘れられない出来事の一つとして、ダーラへストカフェの皆様から、先日行われたSSFでの小さな素敵な国際交流での絵手紙展へのお返事が子ども達へのプレゼントとともに届きました。カフェのH,Mさん達をはじめ、翻訳をしてくださったfikaの皆さん、小学生の皆さん、そして、福岡、カフェを訪れてくださった皆さん、の温かい気持ちが詰まった素敵な手紙をいただき、今これをどのようにこちらの子ども達に渡そうか考え中です。また後日報告させていただきますが、本当にありがとうございました。 最後に、私の木工のその後です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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