カテゴリ:僕のヰタセクスアリス
僕のヰタ・セクスアリス ⑰ (はんぺん) (ラテン語で性欲的生活を意味する)
以前書いたが、周りを見渡せば、何らかの理由で、独り身の男女が、増えている・・・というか、ある時には、半数近くのこともあった・・・・。 今や、死別はともかく、離婚なんて、珍しくもなんとも無い・・・一度しか無い人生で、この先、不要な苦労、DVに耐えることは、本意ではない・・・当たり前の話だ。
人生観、人生に何を求めるか?という問題に行き着くのだが、それが、実は誰にも分らないことだとしても、新しい人生に踏み出すことは、ポジテイブで、一般的には良いと思う。その結果が、吉と出るか、凶と出るかは、誰にも分らない。たとえ、それが、自分の運命であったということで、納得するしかないのだが・・・
離婚には、相当のエネルギーが要る・・・と友人は言った。 ときめいた分だけ、その跳ね返りが大きいということだろうか?
そういう状態であれば、損得勘定が入り込んでくるものなのかもしれない。(老後は、お金)の問題が重要だから、それを考えなくても離婚出来る人は、増えてきているけれども、大半は、老後の苦労を避けることは難しいだろう・・・
ときめきの、消え去りつつある大半の夫婦が、それでも(離婚)を避けることは、可能か?? これに直面しつつある夫婦は多いのでは、無いだろうか・・・・ 「適当な距離を置く」・・・これが、僕の答えだ。数十年前から実践中だが、同時に、「必要以上に会話を維持すること」も、重要だろう。
昔、若いころ、ユースホステル利用で、よく一人旅をしたが、不思議に思うことがあって・・・・しばらく一人旅を続けていると、無性に人恋しくなり、宿(ユース)に着くと、急に饒舌になり、男女を問わず同宿のホステラーたちに話しかけたり、騒ぎまくっていたモノだ。
その時の初対面のメンバーが数人集まって、翌日の旅に同行することに・・・ところが、だんだん(話合わせ)や(相づち)が、煩わしくなり(一人になりたくなり)、しばらくのお付き合いの後に、一人旅に戻っていったモノだった。特に、山行時には、そのような孤独感が増していたように思えたモノだったが・・・
「適当な距離を置く」とは、そういうものに近かったのではなかったか・・・と。(つかず離れず)で、(ほどよい距離)をとり、自身を取り戻すことも、人生、必要ではないか?と。もちろん、双方にとっての事だが・・・それが、結婚を継続する秘訣?だと、思ってきた。
そのためには、お互い、一人になれる自身の部屋が必要だ。人間誰しも、旅行時でなくても、一人になって音楽を聴いたり、本を読んだり、テレビを観たり、昼寝やうたた寝、インターネットなど・・・したい時が、必ずあるハズだ・・・なぜって、価値観が異なり、問題意識が異なれば、聞く音楽も異なり、読む本も異なり、観るテレビも異なる・・・からだ、違うだろうか?
(参考) つかず離れず婚 定年世代の新しい生き方 (日本語) 単行本 – 2020/3/10 和田 秀樹 (著) https://www.ikedashoten.co.jp/book-details.php?isbn=978-4-262-16039-9
そもそも、つれ合いにストレスを感じるときは 「疲れてひとりになりたいとき」だろう。自分の時間を自室で過ごすことで(=少し距離を置くことで)ストレスの解消になり、次のステップへの切り替えができるというモノだ。
人は一人では生きていけません。でも、つれ合いや親友といっても、踏み込まれたくないという部分もあるし、そのことで、ストレスを溜めない生き方も意味があるのでは・・・と思う次第だ。
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最終更新日
2021.10.16 22:37:31
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