カテゴリ:中国
「被告・周世湘。裁判所は67年10月3日、反革命集団密航の罪で懲役10年の判決を言い渡した。再調査の結果、原判決は不当であり、被告を無罪とする」。かすれた字を読むと、1979年3月24日付の裁判書類の写しだった。 中国広東省仏山の無職、周世湘(しゅうせしょう)さん(69)は冤罪(えんざい)が晴れた時、既に10年の刑期を終えていた。「あの災厄は私の人生も変えた」。半世紀前、毛沢東が発動した文革は、一人の若者から希望と未来を奪った。(2016-9-9 毎日新聞)
中国全土に荒れ狂った毛沢東の(文化大革命)の欺瞞と 中国人民が支払った莫大な犠牲を想う・・・何千万という民衆が(造反有理)のスローガンのもと、 殺しあったが、その元凶は、共産党の独裁者・毛沢東だった。
全体主義(共産主義)が、人類の歴史に与えた惨禍は、想像を絶する・・・
同じことが、またまた(人民中国)で、繰りかえされている・・・チベットで、ウイグルで、カザフスタンで・・・まさに(漢族によるジェノサイド)の様相だ。
我々人類は、何度も、同じ過ちを繰り返してきたし・・・・たぶん、これからも繰り返すだろう・・・間違いなく・・・
日本国内でも(過ちを改めない)「運動」が、恥知らずに続けられている。 救いの無い(人類)に・・・乾杯!!!
―――――――――――――――――――――――――――――――――― (本の紹介) 「墓標なき草原」 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 楊 海英 (著) 出版社:岩波書店 発行年月:2009.12
中国共産主義青年団の機関紙「中国青年報」に「氷点週刊」という特別編集版がある。2006年に中国共産党の歴史教育を批判する学者の論文を掲載して一時停刊処分となり、世界的なニュースとなった。その編集長だった李大同氏が、現役だった時代に「氷点故事」という本を出したことがある。
日本では「氷点は読者とともに」という題名で日本語版が出ているようだが、私が読んだのは中国語版の方で、その冒頭部分に李氏が中国青年報の内モンゴル駐在記者として経験したエピソードが出てくる。それは以下のような内容である。 1980年代の初め、内モンゴルの首府であるフフホトで少数民族の学生たちが「中央政府のある内モンゴル政策」を改めるよう求めてデモをした。デモは1カ月におよび、「有力な政治的背景」があるに違いないと判断した李氏は「中央メディアの駐在記者として『内参報道』としなければならない」との義務感から取材に着手した。その過程で学生たちのリーダーに取材した際、モンゴル語で質問したところ、その学生はモンゴル語が理解できず非情に周章狼狽した、という。 ここで出てくる「内参報道」というのは「内部参考報道」の略で、要するに一般読者向けの記事ではなく「内部」つまり「党の限られた幹部向けの報道」のことである。報道と言うよりも報告と言うべきかもしれない。
さて、李氏はその後取材を深め、そして送った「内参報道」は高い評価を得た。社内では「内参記者」というニックネームまでいただいたという。 このときのデモに関する記述が、本書「墓標なき草原」に出てくる。李氏の説明では「中央政府のある政策」としかわからない問題もはっきりと説明してあり、なぜ学生たちがデモをしたのかが理解できる。
李氏は中国のマスメディア界では数少ない硬骨漢だ。氷点停刊事件が示すように、共産党政権との対決もいとわない。だが、そんな人物でも、民族問題に関する記述はあいまいで、核心の問題をぼかしてしまう。
さらに残念なことに、こうした報道を「内部参考」としてしか報じられない中国メディアのあり方にも、深刻な疑問を抱いているようではない。 もっと言えば、モンゴル語を話せないモンゴル族学生の存在を、民族政策や教育政策への疑問へとつなげてもいない。むしろ、自分がモンゴル語で語りかけ学生が周章狼狽したことを、自慢している印象がある。
以上のことから推測できるのは、中国共産党の下で公になっている文献をいくら読んでも、中国共産党の幹部の説明をいくら聞いても、中国の民族問題は理解できないおそれがあることだ。むしろ誤解してしまうおそれがある。
とにかく中国共産党と向き合うには、尋常ではない気構えがないと真実に気づけない可能性が大きい。 だからこそ、本書の存在は貴重である。 上巻に続いて下巻にまで書評を投稿するのは初めてだ。それほど、この本を強く推薦したい。 なお、今年出た本に「内モンゴルには民族問題が存在しない」と指摘した迷著がある。真実に気づいていない典型例だろう。次回はその本についての書評を投稿したいと思う。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 「階級」イデオロギーと民族差別 2010/06/13 投稿者:梶谷懐 - 彼ら(東部出身のモンゴリアン・コミュニスト)は日本語で高度な教育を受け、同時にモンゴル語の高いリテラシーを有していた半面、漢語にはそれほど習熟していなかった。このような「日本刀をぶら下げた連中」こそ、中国共産党の幹部にとって最も警戒された勢力であった。
しかし、中国におけるモンゴリアン・コミュニストにはもう一つ、早くから漢化が進んでいた内モンゴル西部の出身で、延安における中国共産党の活動に参加した勢力が存在した。内モンゴル自治区の初代主席を務め、文革で打倒されたウラーンフーもその一人である。彼らは漢語に堪能であった半面、モンゴル語は会話さえ満足にできないという面があったと言われる。同じモンゴル人といっても、文化的にも思想的背景にも隔たりの大きいこの両者の間には根強い相互の不信感が存在した。
本書の記述によれば、内モンゴル自治区を統治しようとする共産党幹部は、まず「延安組」のモンゴル人を重用し、「日本刀をぶら下げた連中」との対立を煽りたてることで、後者の粛清に成功した。しかし、事態はそれだけれではおさまらなかった。文革が過熱すると、粛清と不信の矛先はウラーンフーら、中国共産党に忠誠を誓っていたはずの「延安組」モンゴル人にも向けられるようになった。その後、「内モンゴル人民革命党員」をえぐり出し、粛清する」運動が本格化するとともに、様々な立場のモンゴル人に対する陰惨な暴力は再高潮に達した。
本書において描かれるような悲劇について、楊氏は支配民族である漢族の、モンゴル民族に対するジェノサイドであったという見解を明確に打ち出している。文革のスケープゴートの役割までもあくまでもモンゴル人「造反派」に負わせることで、結果的に内モンゴルにおける民族主義的な動きは根こそぎにされた、というわけだ。もちろん現在の中国では絶対に受け入れられない見解である。
もちろん、この問題を根本から捉えようとするなら、どうしても日本による満洲国支配の負の遺産、というポストコロニアルな要素を考慮する必要もあるだろう。ただ、強調しておきたいのは、「階級問題は民族問題に優越する」というイデオロギーこそが、これだけの残虐な行為を支えていた、ということの意味である。これは、いかに残虐な行為であってもある種のイデオロギーの下で正当化されることがある、ということでもあるし、あるいは残虐な行為だからこそ、それを正当化し、感覚を麻痺させるするイデオロギーが必要とされた、ということでもあろう。
だが、こうも言えるのではないか。階級闘争が民族問題に超越する、というのが明らかに見え透いた嘘であり、実際にはナショナリズムこそが社会変革のエネルギーを支えていたことが、党の共産党指導者の目から見ても明かであったからこそ、現存した/する社会主義国家において、民族主義とは資本主義そのものよりもはるかに警戒され、弾圧される思想とされてきたのではないだろうか。
このようなことを改めて強調しておかなければならないのは、これが現在の日本において必ずしも共通の認識にはなっていない、という状況があるからである。たとえば、2008年のチベット騒乱のあとも、一部では、「問題の本質は民族対立などではなく、階級間の対立だ」といった解釈や、チベット人の異議申し立ては「反帝国主義としての契機を持たない」のでそもそも支持に値しない、といった言説がまかり通ってきた。しかし、本書の持つ「重さ」は、そういった言説の根拠を改めて揺さぶり続けるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.12 23:54:05
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