カテゴリ:中国
(緊急情報) 3月20日(土)夜9時から放送の『報道スクープSP 激動!世紀の大事件8』(フジテレビ系列)では、この看護師の初証言インタビューと、艾芬医師の手記に基づき、世界で初めての感染爆発が起きるまでの信じがたい経緯の一部始終をお伝えする。
世界の状況は、全体主義に有利に働いていて、共産党一党独裁の中国が、しゃにむに、強権的に世界制覇=漢民族支配体制確立に突き進みそうだ。マスク外交、ワクチン外交・・・といった、些末に目を奪われては、歴史を見誤る。
今回の中国共産党の全人代が決定した脅威的な軍事費が、未来の地球を暗示しているようだ。 地球的規模の、反全体主義の統一戦線が必要だ・・・と言ってきたが、どうも、間に合いそうに無いと思える。
それにしても、リベラルたちのピンボケの言動には、呆れてしまう。率先して(人権問題)に取り組むべき彼らが、都合の悪い事柄に、見て見ぬふりをする事態が、頻繁に起きている。これでは、誰が信用するだろうか?
保守政治の不備を突き、その受け皿になるべき彼らの存在意義は、ますます低下しつつあることは、嘆かわしい限りである。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 「肺炎はデマと言え」武漢の看護師が隠ぺいを初告白 ~世界初の新型コロナ感染爆発に隠された真相~
https://news.yahoo.co.jp/articles/488b92d26251efc38257e0ca0db1c1ef58f9a715
中国にある武漢市中心病院をご存知だろうか? 2019年の12月末に、この病院の患者から新型コロナウイルスが世界で初めて確認されたとされる、いわば“パンデミックの始まり”となった病院である。
この病院で何があったのか?なぜパンデミックは防げなかったのか?実は、武漢市中心病院の関係者には厳しい箝口令が敷かれており、感染爆発に至るまでに院内で何が起きていたのかはほとんど知られていない。
この武漢市中心病院で、最初に未知のウイルスに遭遇し、たったひとりで警鐘を鳴らし続けた女性医師がいる。救急科で主任を務める艾芬(アイ・フン)医師だ。
今回、私たちが話を聞いたのはその艾芬医師と共に働いていた看護師の張莉さん(仮名)。 数カ月にわたる交渉の末、顔や氏名を絶対に公開しないならと言う条件のもと、「未知のウイルスとの遭遇」、そして「感染爆発に至るまでの信じがたい経緯」を明かしてくれた。
ある日突然、運ばれてきた「謎の肺炎患者」 張看護師が最初に未知のウイルスの噂を聞いたのは2019年の年末のことだという。ある日突然、運ばれてきた「謎の肺炎患者」について、彼女はこう振り返る。
「彼らの症状は風邪とあまり変わりませんでした。ただ、風邪は注射したり、炎症を抑えれば良くなります。しかし、その患者さんは全く回復しないんです。しかも、進行が異様に早いんです。率直な感想は理解できない病気だということでした。」
そして、2019年12月30日、艾芬医師は診ていた患者から未知のウイルスが検出されたことを知り、同僚医師らにその事実を伝えたのだ。当時の状況を看護師はこう振り返る。
「2019年12月31日のことでした。同僚にこの病院からSARSの患者が出たという話を聞いたんです。本当に怖かったです。未知の病気でしたのですぐに対策をしようという事になりました。」
この武漢市中心病院で見つかったSARSウイルスこそが、後に私たちの知る新型コロナウイルスだったのだ。この情報をSNSで世界に発信し、のちに自らも感染し、命を落とした李文亮(リ・ブンリョウ)医師もまた、艾芬医師から検査結果を聞いたひとりである。
病院上層部から驚くような指示が… しかし、12月31日、武漢市は未知のウイルスによるヒトヒト感染を否定。同時に、病院上層部から張看護師に驚くような指示があったという。
「家族にSARSの事を言わないように。伝えるにしても例えばSARSなどの敏感な単語は使わず、インフルエンザが流行っている。そう伝えなさいと指導を受けたんです。」
病院からの隠ぺいの指示である。未知のウイルスを初めて検出し、その脅威を病院内で訴えた艾芬医師もまた、信じがたい隠ぺいの指示をされている。 病院内で中国共産党の方針を守っているか監視する部門である「監察課」に呼び出され、「デマを流した責任をとりなさい。あなたが情報を流した病院関係者200人に直接会って、“私はデマを流しました”と謝罪すべきです。」と強い叱責を受けたのだ。
そうして病院が情報を隠している間に感染は拡大。張看護師も急増していく患者に戸惑っていたという。武漢市と病院がヒトヒト感染を認めないなか、2020年1月11日には、武漢市中心病院の医療関係者が次々と感染していく。張看護師の周りでも感染者が出たという。
「CTを撮った同僚から“私も感染したかも”って青ざめた顔で告白された事もありました。政府はヒトからヒトへの感染は無いって言っていましたけれど、よく考えればインフルエンザでさえうつりますからね。このウイルスだってヒトからヒトへ感染しないなんて言いきれないですよね。あの頃は自分が感染したらどうしようって、本当に怖かったんです。」
医療崩壊が起き始めたこの時点でも、驚くべきことに病院はヒトヒト感染の可能性を認めなかった。1月16日、武漢市中心病院の幹部会議に出席した艾芬医師は、病院内での感染対策を進めるべきだと訴えるも、ふたたび上層部から次のような叱責を受けている。「あなたたちにはきちんとした医療常識が必要である。ベテランの医師はこのようなことでパニックを起こしてはならない。ヒトヒト感染などなく、この肺炎は防げるし、治せるし、コントロールもできているのだから」と。
中国政府がようやくヒトヒト感染を認めたのは1月20日。その数日後、張看護師が病院で見たのはとんでもない光景だった。 「救急科の前に数百メートルの列ができていたんです。心が折れそうになりました。患者が多すぎるんです。」
その後、世界に拡大した新型コロナウイルス。張看護師は後悔の思いをこう語る。 「あの頃、うちの病院で口封じなどをせず、きちんと外に情報を提供して、みんなで防護意識を高めていればこんな事にはならなかったと私は思います。」
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.20 02:59:32
コメント(0) | コメントを書く
[中国] カテゴリの最新記事
|
|