カテゴリ:社会主義
「ブチャの虐殺」(2022年2月)から、始まったウクライナ侵略。主権国家への全面侵略を世界は、許さない・・・(法による支配)を守り、(力による現状変更)の企みを許さない力関係を!!! 2024-6-29 はんぺん ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まってまもなく2年となる。 プーチンの独裁政治、ファシズムを打倒しない限り、真の平和は、あり得ないことが、ますます明らかになってきた。
あの(ブチャの虐殺)は、ウクライナ人に、全体主義が、どういうものであるかを、実例に力で示した。
今、人類に問われているのは、全体主義の跋扈を許すのか、それとも許さないのか・・・という事だろう。それは、(人類の未来を賭けた戦い)としてある。
その大義に、何と言う事だろうか? リベラルたちが、血迷って! 全体主義に寄り添ってしまったのだ・・・
東アジアでは、(自衛隊反対)(安保反対)(沖縄基地反対)と叫んで、中国や北朝鮮を狂喜させてきたのだ・・・これを(犯罪)という・・・それ以外の言葉を、僕は知らない・・・・
僕たちの自由・民主主義を利用して、彼らは、(自由)(民主主義)の無い独裁国家にエールを送り続けている・・・
皆さんは、どう思われるか? はんぺん
―――――――――――――――――――――― 兄弟だったロシア「今はギャングのよう」。侵攻2年「私の、あの日」(私の、あの日 ウクライナ侵攻2年) 2024-2-16 杉山正(朝日新聞ヨーロッパ総局長) 朝日新聞 ロシアがウクライナに全面侵攻を開始してから2年近い月日が経とうとしています。空襲警報が頻繁に鳴り響くなど、戦争が日常化してしまったウクライナ市民の生活。この2年間で「最も忘れられない1日」を聞きました。(藤原学思、杉山正)
アンドリー・ドゥブチャクさん(47)@イルピン 2022年3月6日 目の前で迫撃砲が着弾 私は、ロシアによるウクライナ侵攻を2021年から伝える地元メディアの創設者です。東部地域で14年に始まった侵攻が「忘れられた戦争」になっていることを危惧しています。
22年3月6日、キーウ近郊のイルピンにいました。激しい戦いが続き、高齢者や女性らが逃げていました。私が建物の影に隠れ、ウクライナ軍兵士にレンズを向けると、目の前で迫撃砲が着弾しました。攻撃で、道路側にいた一家が亡くなりました。43歳のタティアナと、18歳の息子ニキータ、9歳の娘アリーセです。
撮影した映像は世界中で使われ、戦争犯罪の証拠にもなりうるものです。ただ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が出るようになりました。
それでも、前線からの報道を続けています。情報は最も重要で、最も危険な武器。ロシアはそれがよくわかっている。ただ、「真実」は、ウクライナにより近い位置にあります。双方の等距離にはありません。
平和とは、自由に選択ができること。思想や移動、投票を選べること。戦わざるをえない状況にないこと。残念なことに私たちはもう長らく、平和とは何かを忘れてしまっているのです。
セルヒー・シドレンコさん(44)@キーウ 2022年6月17日 EUがウクライナを加盟で勧告 欧州連合(EU)とは何かをウクライナの人たちに伝え、EUにウクライナを近づけるためにネットメディア「ヨーロピアン・プラウダ」を創設しました。(親ロシア路線の政権崩壊をもたらした)尊厳の革命(マイダン革命)後の2014年のことです。
ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まってまもなく2年となります。ウクライナの市民にとって「最も忘れられない1日」はいつだったのか。戦争が日常化する中で、人々が抱えてきた思いを取材しました。
当時はウクライナのEU加盟は、現実離れしていると多くの人が考えていました。しかし、(EUの行政を担う)欧州委員会が2022年6月17日、ウクライナを「加盟候補国」に正式に認定するように勧告しました。そして、同じ月の23日、首脳会議が承認しました。私は長い間、このために闘ってきました。私にとって、ウクライナにとって大きな勝利の瞬間でした。
ウクライナには同様に北大西洋条約機構(NATO)への加盟が必要です。プーチン(大統領)はとりつかれたようにウクライナをEUやNATOから遠ざけようとしてきました。
しかし、プーチンがこれまで行ってきた全てのことが、彼には逆効果となっています。むしろ、ウクライナをEU、NATOに近づける結果になっています。ただ、ウクライナにとっても大きな代償となってしまっています。
アンドリー・ブトリムさん(38)@スーミ 2022年4月11日 ロシア軍の撤退 私は、北東部スーミに暮らしています。ロシアの国境から30キロほどしか離れていません。人間は何事にも慣れるもので、空襲警報が鳴っても、反応しなくなってしまいました。
ロシア軍は侵攻開始後すぐ、スーミの占領を試みました。私は約1カ月間、州内の小さな村に避難しましたが、そこも包囲されました。スーミ州からのロシア軍の撤退が完了したのは、2022年4月11日です。
ロシアは「兄弟国」だと思っていましたし、親近感を持っていました。たくさんの友だちがいて、何度も訪ねていました。いまではロシアはギャングのように思えます。そこの友人と連絡を取らなくなりました。
プーチン(大統領)だけではなく、ロシア全体が問題です。ロシアは欧州や世界を悩ませ続けるでしょう。ロシアを解体してほしい。これ以上、隣国を苦しめないでほしいのです。
どのように終戦するのか、私にはわかりません。 ただ、停戦について考えると、「これまでに犠牲になった人びとは何のために」という疑問が浮かびます。また、ロシアは必ず再び、戻ってきます。私はすべての資源を投入して、戦い続けるべきだと思います。
リュバ・ソロキナさん(30)@キーウ 2022年8月5日 夫との出会い ロシアによる全面侵攻開始の時、私はマンション11階の自宅にいました。窓ガラス越しに戦闘機が見えました。道路ではロシア軍とウクライナ軍の戦闘が行われていました。両親と犬2匹とともに2週間、駐車場で過ごしました。
プログラマーの夫とはマッチングアプリで知り合いました。初めて会ったのは2022年8月5日。彼はすぐに恋心を抱いてくれたようでした。彼といると、とても安心できるんです。電気不足の冬を経て、23年4月に結婚しました。戦争がなければ、こんなスピード婚は考えられませんでした。
私は大学で日本語を学び、名古屋で暮らした経験もあります。たこ焼きやうどん、カレーが大好き。都市では広島が好きです。過去の悲劇にかかわらず、「強さ」を感じられます。
日本に新婚旅行に行きたいね、あれを食べよう、あそこに行こうと、夫とよく話します。ただ、残念ながら、戦時下で男性は国外に出ることができません。
ウクライナ人が自分たちを守ることができるようになるのは、ロシアの崩壊と分割しか道はありません。「いつもの日常」は、その後で初めて、やってくるものだと思っています。
ナタリア・ルデンコさん(64)@キーウ 2022年9月1日 教え子との再会 キーウ近郊の公立校で、18年にわたって校長を務めています。預かる子どもは、1~11年生(日本の小学1年から高校2年)の1957人です。
小さいときから教師になることに憧れていました。チョークで家具に落書きしていたぐらいです。子どもたちは私にとってすべてです。子どもたちとともに人生を歩んできました。
しかし、ロシアによる全面侵攻で、状況は変わりました。授業はオンラインになり、子どもたちに会えない日が続きました。ようやく再会できたのが、2022年9月1日。誇りで胸がいっぱいでした。また自分の役目を続けられる、前に進むことができると。
その日に戻ってきたのは、全校児童・生徒の3分の2ほどでした。月日が経つにつれて増えて、いまは前の水準の児童・生徒数です。ただ、それは、ロシアの占領地域から引っ越してきた150人ほどの子どもたちを含めた数字です。
校長になる前は、物理の教師でした。アルキメデスの言葉が好きです。「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん」。ウクライナにとって、支点は勝利。それさえ得られれば、なんだってできないことはないと、そう信じています。
杉山正(朝日新聞ヨーロッパ総局長) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.29 01:31:20
コメント(0) | コメントを書く
[社会主義] カテゴリの最新記事
|
|