「忘れられた皇軍兵士」(動画・全編30分弱) dailymotion
戦争犯罪人であるヒロヒト(昭和天皇)は、かって、戦争責任の問題について、記者からの問いかけについて、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」・・・・と、戦争責任を 「言葉のアヤ」 と解し 「文学方面」 の問題と茶化したような不真面目な発言をした。 自分が引き起こした戦争の犠牲者に「気の毒だが、やむを得なかった」って・・・これは、まともな人間のいう言葉ではない・・・と断言できる。 こういうボンクラ天皇が、引き起こした戦争で、300万の日本人、2,000万以上のアジア民衆が、殺されたのに、アメリカ占領軍の占領政策のおかげで、戦後も、ぬくぬくと生き続けたことに、激しい憤りを感じる。 この紹介するドキュメンタリー「忘れられた皇軍兵士」だけではない・・・戦災孤児、空襲被害者、特攻犠牲者から、シベリヤ抑留で(殺された)軍民関係者など、ヒロヒトは死去したが、その罪科は消えることは無い!!!!!! 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――― 「忘れられた皇軍兵士」(動画・全編30分弱) dailymotion https://www.dailymotion.com/video/x19kv93 原題は、「忘れられた皇軍」 大島渚監督:1963年8月作品 標題に「兵士」を入れた方が分かりやすいので「忘れられた皇軍兵士」とさせてもらう。日本政府に日本人同様の軍人恩給(補償)を求めたところ、韓国籍であることから韓国政府に求めろと言われた。そこで、韓国政府に補償を求めたところ、日本の為に働いたんだから日本政府に求めろと言われる。 このようなことがあったとは・・・知らないことが多すぎる。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 2014-9-26 池田 信夫 アゴラ(言論プラットフォーム)数十人の(自称)元慰安婦よりはるかに重要なのは、24万2000人が動員されて2万2000人が死亡した朝鮮人の軍人・軍属である。しかし戦後、日本に残った彼らは、軍人恩給も障害年金も受けられない。日本国籍がないからである。 彼らは多くの訴訟を起こしたが、「日本国籍のない元軍人には受給資格がない」としてすべて敗訴した。他方、彼らは韓国でも補償を受けられず、その存在そのものが抹殺されていた(2006年に韓国政府もようやく彼らを「戦争被害者」として認知した)。 彼らはこの大島渚のドキュメンタリーで訴えるように、天皇陛下のために戦った皇軍として認知を求めたのだ。 これは彼らが帰化して日本国籍を取れば解決するが、そうすると彼らは韓国では生きていけない。日本でも、在日のコミュニティから排除されてしまう。 日本と韓国から二重の差別を受けている在日の扱いが、戦後処理の最大の問題である。これを解決するために日本政府は特別永住資格を設けたが、それを「在日特権」などと批判する人々が、問題をさらにややこしくしている。 国家とは、第一義的には「自分は誰か」というアイデンティティである。たとえ朝鮮半島の植民地経営で、日本がインフラ整備をしたとしても、朝鮮人は心の底ではそれを許していなかった。 軍人には徴兵された兵士はなく、軍属にも「強制連行」はなかったが、日本の植民地支配は免罪されない。祖国を奪われた人々の心の傷は、日本人にはわからない。 ―――――――――――――――――――――――――――「忘れられた皇軍」という衝撃2014-01-17 09:00:00 | (相)のブログ 先週日曜日(12日)の深夜、日本テレビで放映された「NNNドキュメント’14 反骨のドキュメンタリスト ~大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃」を見た。1963年8月16日に日本テレビで放送されたドキュメンタリー作品「忘れられた皇軍」の再放送と制作に携わった関係者の回想などで構成された約1時間の番組だ。 先の太平洋戦争で日本軍の兵士、軍属として戦傷を負いながらも、戦後、日本人の元兵士には与えられる恩給を与えらなかった「元日本軍在日韓国人傷痍軍人・軍属」(以下、傷痍軍人)たち。 作品は、彼らが「元日本軍在日韓国人傷痍軍人会」として日本政府に補償を求める活動を追ったドキュメンタリーだ。昨年1月に亡くなった映画監督・大島渚氏が制作した同作品は再放送やDVD化がされなかったこともあって、「伝説的ドキュメンタリー」と称されている。実に半世紀ぶりの放送。作品名を聞いたことはあっても、実際に見るのはこれが初めてだった。 冒頭、番組製作に関わったカメラマンなど当時のスタッフ3人の証言に引き続いて『忘れられた皇軍』全編(30分弱)をCMなしのノーカットで放映。その後、大島監督の妻で女優の小山明子氏、ジャーナリストの田原総一朗氏、映画監督の是枝裕和氏らのコメントが語られた。 鑑賞した観想を一言で表すなら、打ちのめされたとでも言おうか。短い作品だが、映像、ナレーション、音楽を含めて全編に怒りが満ちていた。何と表現すればいいのだろう。心をざわつかせ、かきむしるような後味を残す作品だった。 作品は、失明した両目にサングラスをかけている元日本軍傷痍軍人・徐洛源さんのアップから始まる。混雑する電車内を歩きながら物乞いをする徐さん。「このように醜い様子をさらして誠に申し訳ございません。私は両目をなくし、片腕をなくし…どうかご理解あるご支援をお願い申し上げます」。その言葉を語る口元も火傷の痕なのだろうか、皮膚がただれ、引きつっている。 カメラは、在日韓国人傷痍軍人会のメンバーが戦傷に対する補償を求めて首相官邸、外務省、大韓民国代表部と陳情行動に回り、街頭で支援を訴える姿を追い続ける。彼らが掲げるのぼりには「眼なし、手足なし、職なし、補償なし」という手書きの文字。モノクロ画面に映し出される、金属の義手や義足をつけた傷痍軍人たち。カメラはこれでもかというくらい彼らの姿をクローズアップでとらえる。 しかし、彼らの必死の訴えはどこにも聞き入れられない。 1963年、オリンピック開催を翌年に控えた東京。 戦後18年、高度成長の軌道に乗り始めた日本の首都は、傷ついた身体をさらしながら歩く傷痍軍人たちの姿が「似つかわしくない」ように映るほど変貌しつつあった。カメラは、補償を訴えたり募金活動をしたりする白装束姿の彼らを横目で見ながら「われ関せず」といった様子の日本人の姿もとらえる。両者の対比は悲しいほど残酷だ。外務省前では吉田茂元首相が乗った車が傷痍軍人たちのそばを何事もなかったかのように通り過ぎる。 作中、とくに印象的だったのが、陳情を終えた傷痍軍人たちがお酒を飲むシーンだった。みなで軍歌を歌っている最中に口論が始まる。徐さんが突然激昂するとサングラスを外し、眼球のない両目を指で押し開く。カメラがその顔をアップでとらえる。さらにシャツを脱いで、上腕部付近からちぎれた片腕をあらわにする徐さん。叫び声とともに眼窩から涙がこぼれる。 「この悲しい争い。仲間にしかぶつけることができない、やり場のない怒り。これは醜いか、おかしいか」 ナレーションに思わず胸がつまった。 場面は変わって、徐さんの家。彼の妻(日本人)も失明していてサングラスをかけている。2人の食事を手伝うのは妻の妹だ。徐さんの唯一の楽しみはラジオで野球放送を聞くこと。国鉄の金田投手のファンだという。横になりながら、眼球のない目を閉じてじっとラジオを聞く徐さん。 「もっと大きな喜びが与えられるべきではないのか。しかし、今この人たちは何も与えられていない。私たちは何も与えていない」 制作者の心の叫びを表すようなストレートなナレーション。 ラストシーンも印象的だった。海水浴客に混じって歩く徐さんの姿が映し出され、ナレーションが語りかける。「日本人たちよ、私たちよ、これでいいのだろうか。これでいいのだろうか」。そして、サングラスをかけた徐さんの目のクローズアップで終わる。 「カメラは加害者」とは大島監督の言葉だが、戦傷者が感情をあらわにした瞬間を容赦なくとらえるカメラワークはときに「暴力的」ですらあった。全編に流れるアート・ブレイキーのジャズも作品にある種の「不穏な空気」をかもし出し、見る者の心を揺さぶるようだった。 ここで「元日本軍在日韓国人傷痍軍人・軍属」に対する補償問題の経緯について簡単に記したい。 日本の植民地であった朝鮮半島や台湾から「日本人」として徴兵された軍人・軍属たちは戦後、日本国籍がないという理由で恩給法や援護法の支給対象から外されてきた。 戦後のGHQ占領下で支給されていた障害年金は当時、日本国籍を所有していた在日朝鮮人の元軍人・軍属にも支給されていた。しかし52年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効時、日本政府は在日朝鮮人に国籍の選択を認めず、法務省の一方的な「通達」によって日本国籍は剥奪された。 条約発効2日後の4月30日、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が公布される。同法は4月1日にさかのぼって適用されたが、「戸籍法の適用を受けない者については、当分の間、この法律を適用しない」という付則がつけ加えられた。 これによって、外国人登録はしているが日本国籍を持っていた朝鮮人は年金の支給対象から排除されてしまった。戦傷のため働けない彼らの命綱ともいうべき年金が一方的に切られては、生きることは難しい。街頭に立って苦境を訴え、関係各所に陳情する彼らを記録したのが「忘れられた皇軍」なのだ。 62年の厚生省通知を通じて日本政府は日本国籍取得という方法で年金を受給するよう促す。しかし「帰化」しない人も少なからずいた。65年の日韓協定締結後も彼らは援護法から排除され、一銭の年金も支給されずに放置された。 これら法律の国籍条項が憲法第14 条の「法の下の平等」や国際人権規約の「内外人平等原則」に違反しているとして、77年の台湾人元日本兵や遺族らによる訴えを皮切りに日本政府相手に裁判が起こされる。 「元日本軍在日韓国人傷痍軍人・軍属」による裁判は90年代に入って数件起こされたが、2000年代初頭までに敗訴が確定。判決には、「外交交渉を通じて適切な対応を図る努力をするとともに、援護法の国籍条項や付則を改廃して同法の適用の道を開いたり、行政上の特別措置を取ったりすることが強く望まれる」「憲法の平等原則に違反する疑いがある」、「国会にはできるだけ速やかに条項改廃や新たな立法措置で、差別的な取り扱いを是正することが要請されている」という意見も盛り込まれた。 しかし、補償は立法府の裁量的判断に委ねられており、国籍による差別は立法府の裁量を逸脱していないという論理で請求は棄却された。 2000年5月、「平和条約国籍離脱者等の戦没者遺族への弔慰金等支給法」が成立し、戦死傷者遺族に対して260万円の弔慰金、戦傷者本人に対して見舞金200万円と特別給付金200万円の計400万円が支給された。しかし、日本人には国家補償の精神に基づいて年金が支給されるのに対し、在日朝鮮人、台湾人には1回限りの支払いのみ。支給額も、同様の被害を受けた日本国籍者と比べて顕著な差があった。 大島監督が在日朝鮮人問題に取り組むきっかけとなったといわれる「忘れられた皇軍」。彼はこの作品の制作後も傷痍軍人たちと関わり続けたという。番組内では、彼らが起こした裁判に喪章をつけて入廷する監督の映像も流れた。 彼は何を訴えたかったのか。映画監督の是枝裕和氏が番組内で語った以下の言葉がその答えなのだろうと思った。 「大島さんが生涯批判し続けたのは『被害者意識』というものだった。『あの戦争は嫌だったね』『辛かったね』という、自分たちが何に荷担したのかということに目をつぶって、被害意識だけを語るようになった日本人に対して、「君たちは加害者なのだ」ということをあの番組で突きつけているわけですよね。その強烈さに、見入った人間たちは打ち震えた」 ラストシーンのナレーションも、大島監督が視聴者に突きつけたものであると同時に、自分自身に問いかけた言葉でもあったのではないだろうか。 今回の番組は大島作品の再放送にとどまらず、作品の今日的意味を問い、今のテレビに対する問題提起を行っているようにも思えた。番組の端々から作り手の熱意と覚悟がうかがえた。 番組のラスト。ブレイキーの演奏が再び響く中、「失われた皇軍」のラストシーンのナレーションが繰り返された。カメラを見つめる少女の目のアップというラストカットは大島作品へのオマージュなのだろう。 本作品を通じて、救済の網からこぼれ落ち、戦後補償から置き去りにされた元日本軍傷痍軍人たちに降りかかった不条理について考えざるをえなかった。日本の不十分な戦後処理によって、同様の悲劇はほかの分野にも数多く発生した。いまだ解決していない問題も少なくない。そのような意味で、「忘れられた皇軍」の問いかけは現代にも生きているのだと思う。