テーマ:福祉医療関係(1061)
カテゴリ:ヘルパー日記
担当の人で、難病で車椅子の方がいる。
ご自分では歩くことができない。体位交換もできないのだ。 ご主人と二人暮しでお子さんはいない。 お歳はまだお若い。60にもなっていないのだ。 最近よく「もし主人が先に逝ったら、この家で一人で住むのは無理だしょうね。でも、最後までこの家でいたいのよね。」とおっしゃる。 「寝たまま朝には死んでいたが希望なのよね。」とも…。 その話を聞くたびに「私が最後まで面倒みさせてもらいます。」の言葉を期待されているのだろうと、ヒシヒシと感じるのだけど、それは絶対に言えないのだ。 まだ若い(?)私がずっとこの方の担当で、最後まで介護させていただくのは可能かもしれない。 でも、事務所を辞めれなそれで担当もなくなるし、ケアマネの資格を取れば現場から離れることになるだろうし、先の事は分からないのだ。 でもありがたいことに気にいってくださっている私に、嘘でも「大丈夫ですよ。私が最後までいますよ。」と、言ってほしいのだろうとの気持ちが伝わる。 身体がご不自由で、一人取り残されたらの不安感は、私には計り知れないものだろう。 う~~ん、辛い。 でも、そのときだけの気休めは言えないのだ。 もしそんなことを言って、担当が替わったら気持ちをうらぎることになるもの。 その方の老後の不安が分かりすぎるくらいに分かるから、よけいに言えないのだ。 今の私ができることは、現在を楽しく生活していただけるように介護させてもらうことだと思っている。 そして、障害のある方でも、施設に入るか在宅で生活でするかの選択ができるようになってほしい。 家族さんがいなくなると、一人で在宅はかなり厳しい。 それを補う福祉の援助がもっとあれば良いのにと思う。 担当する方のケースによっては、その方のプライバシーに深く関わることもあるから、ある意味重い仕事だなと感じるのです。 介護は当然だけど、時にはカウンセラーのようにお話を聞くこともある。 いわゆる傾聴なのだけど、それで気持ちが少しでも楽になってもらえたら嬉しいのだけど。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.04.29 17:06:50
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