♪ 根詰まりのシャコバサボテン苦し気にたった二つの花を付けおり
昨日の孫は、あまり運動的なことはしたくないと言って、野球の道具は持ってこなかった。疲れているらしい。何でかって聞くと、学校から走って帰ってきたからだと言う。距離は1キロもないくらいだけれど、ランドセルを背負っているし、学校でも疲れることがあったのかもしれない。
祭日の11日にも来て、たまたま来ていた次男と野球をしたりしていたので、またやりたいと言うかと思っていが全くその気がないので少しばかり拍子抜け。
塗り絵が好きだというので「大人のぬり絵」が買ってあったので、それをやることに。まるで計算通りという感じで役立った。やり始めると、そりゃあもう楽しそうに無心でやっている。好きなように塗ればいいんだよと言っても、見本の絵を見ながらやる。その方がいいらしい。
自由ほど不自由なものはない。
もっと自由な色を好きなように、ハチャメチャに塗ってもいいんだけどなぁ、なんて横でつぶやいたりして・・。しかし、無駄なことは言わない方が良いと思って、横に座ってついでに買ってきた「ニュートン」に載っていた「ツノゼミ」の記事を読み聞かせなどしながら、じーじにとっては超楽ちんな時間を過ごした。
横尾忠則が5歳のときに模写した絵が残っているが、彼は天才なのだから比べるのはおこがましい。というかあんまり意味がないけれど、比べたくなるのも人情だ。
「講談社の絵本」というシリーズがありまして、そのなかの一冊、『宮本武蔵』(石井滴水著)のなかに見開きページで巌流島の決闘のシーンがあって、それを描いたものです。まあ、その絵より前からたくさん描いているんですよ。でもいま手元に残っているのが、あの絵だけということです。」
「小学校のときは特に専門の先生がいたわけではないので、美術の先生の教育を受けるようになるのは中学校からですよね。でも、美術の教科書はほとんど記憶にないですね。マネとかモネとか、ゴッホとかゴーギャンとかの作品が印刷されていたんでしょうが、そういう芸術作品に関してはまったく興味なかった。どこが面白いのか、さっぱりわからない。」
「やっぱり通俗化されたものでないとね。子どもはああいうハイレベルというのか、純粋絵画に対しては教養主義を押しつけられるので、そういうものから逃れたいんですよね。」
そういえば「段ボールアート」で有名な日比野克彦氏が、4月に東京芸術大学長になるという記事が出ていたっけ。ついに学長にまでのし上がったか。幅広い活動と柔軟な思考性が評価されたのでしょうか。
「子供が芸大に行きたいと言ったとき、親が『困ったものだ』と嘆かないようにすること」という言葉には説得力がある。
「東京芸大卒の50パーセントは行方不明だ」なんてことを『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』に書かれたこともあったし、大麻常習で逮捕された伊勢谷友介の影響も大きかったでしょう。
アートは身近なもので、「社会には絶対なくてはならないもの」と位置付けてゆくその確固たる信念と手腕に期待したいですね。
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