自発的に持っていた母の荷物があった!!
友人からのおめでとうメールで、あっ、私誕生日だったと気づくほど、休みなく続く浄化に疲れていたようです。次々と浮かんでくる記憶の中に、自ら進んで母の荷物を持ちに行ったものがありました。母は、近所の人たちやや子どもたちの友人の親たちから猛烈に嫌われていました。保育園に入った頃からそれを感じるようになり、小学生になったある日、一緒に遊んでいた友人から「はるちゃんのお母さんが嫌だからはるちゃん家行きたくない」と言われショックを受けました。彼女が母を嫌っている事、何となく分かっていました。その後も、遊びに行った友人宅で、友人の母から「はるちゃんのお母さんが嫌いだからはるちゃん、うちの子と遊ばないで」と言われ、私は数少ない友人を一人なくしました。母が子供会の役員になった時には、子どもたちから猛烈に嫌われ、避けられ、無視されていました。役員のお母さんたちからも、嫌われていました。母の悪口を何度となく聞きました。子どもながら、心を痛め、そんな母の事を恥じていました。その後も、はるちゃんのお母さんが嫌いと言う事を言う人たちに大勢会ってきました。いつしか私がお母さんを守らなきゃ!という気持ちが芽生えていたようで、そんな事も知らない母からの容赦ない激しい暴力と、世間からの冷たく心ない攻撃とに挟まれ心も身体もズタズタになり、それでも母の前に立ち続け、母を守ろうとしてきました。母の事を本当に好きな人は一人もいないそう感じた時から母の背負うべき荷物を私が背負ってきました。そう、別に母から頼まれたワケじゃないんです。自分から、過酷な状況の中に飛び込んだんです。私が持っている母の荷物は全部母から強制的に持たされたもの、そう思っていたのが勘違いだった事に気づきました自分から持ちに行ったので、おろすのも簡単です。もう母を守るのはお終い。それは母自身のもの。私が守りたいのは、娘と私自身と、そして今の家庭。少しだけ、旦那も…?母ではない。そうはっきりと気づいて沢山泣きました。守ってあげられなくてごめんね、と。また一つ、母からの卒業をしました。本当に小さい事を地道に一つ一つ、です。でも確実に前に進んでいると思います。過去が完全に過去になるまで、もう少し頑張るぞ!浄化が促進される誕生日の前後にライタリアンのクリアリングを受けられるのは幸せです。それも、ゆう子先生から(*⌒▽⌒*)沢山泣いたので今夜はぐっすり眠れそうです..