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カテゴリ:「はっと」について
収穫間近の小麦
宮城県でも昭和30年ころまでは、 「麦秋」と呼ばれる初夏がありました。
周囲は青葉のころなのに、 麦畑のみが黄金色に輝く光景は、 いかにも「実りの秋」でした。
こういう光景が、県内一円で見られたのです。 耕地面積でも、昭和31年で、畑地が5万5千ヘクタール。 水田面積のおよそ5割にのぼっていたのです。
その畑地のうち、もっとも作付面積が多いのが麦。 大麦・小麦で3万1千ヘクタールでした。
初夏の収穫前に豆類をまいて、秋に収穫する 二毛作でした。
収穫した麦は、販売もしましたが、 大麦は、カテ飯のカテとなり、 小麦は粉にして、料理をしました。
小麦は昔から「うどん粉」と呼ばれ 「うどん」や「はっと」として食べられました。 お盆には新粉でうどんを作り、 盆棚に供えるのが習わしのところが多かったようです。
麦の作付面積は、昭和30年代初めがピークで、 それ以降は米不足が解消したため、 麦飯を食べることが少なくなりました。 また、輸入小麦の増加、加工食品の出回り と、減少の一途をたどっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月21日 15時55分50秒
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