ゴヤ・レッド
久々にアートとカラーについて・・・。今日は、レッド。レッドというと何を連想するでしょうか?血赤信号情熱本能グラウディングなどなどたくさんありますね。その言葉を見てみると強さをイメージさせるものが多いですね。レッドという色そのものがインパクトがあります。赤札といわれるようにセールのときに赤文字をみるとついつい血わき肉踊るのは私だけでしょうか?レッドの印象的な絵画はたくさん思い浮かびます。大好きなマティス、ベラスケス、ルーベンス、ロベール・ドローネ、ルドンなどなど。今日は、ゴヤ・レッドをとりあげます。フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(Francisco Jos? de Goya y Lucientes, 1746年3月30日 - 1828年4月16日)は、スペインの画家。ディエゴ・ベラスケスとともに、スペイン最大の画家。ロマン派。ゴヤの初期の作品は、ロココ風のお気楽な雰囲気も見られるが、のちにはベラスケスやレンブラントに基づく様式に変わる。『黒衣のアルバ女公爵』210×149.5cm | 油彩・画布 | アメリカ・ヒスパニック協会(おそらく)ゴヤと愛人関係にあったアルバ女公爵≪マリア・デル・ピラール・カイェターナ≫の全身肖像画は、黒い服に鮮やかに対比する赤の印象的な使い方をみることができる。この作品を作成中に二人の間には別れがあったようで、結局、この作品は彼女には渡されることがなかった。そう聞くと、彼女の立ち姿は、なにか秘密めいた気持ちが現れているかのように見える。この後、スペインはカルロス4世がナポレオンを支持して退位し、ナポレオンの軍隊がイギリスと同盟を結んだとき、多くのスペイン人は、後進的な祖国が必要とする自由を得られると希望を持った。しかし、自由への希望をスペイン国内でのフランス軍の残虐行為によって打ち砕かれ暴動を起こしたマドリード市民をフランス兵が銃殺している。ゴヤはこの事件を『1808年、5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』(El 3 de Mayo de 1808. Fusilamientos en la monta?a del Pr?ncipe P?o)266×345cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)として描いている。銃を構える生きている兵士。そして、銃殺されて血を流して死んでいくスペイン人。生と死が中央の光によって分けられているのも印象的だ。かなり、気持ち悪い絵ではあるが、やはりこれははずせない。『我が子を喰らうサトゥルヌス』(Saturno devorando a su hijo) 1820-23年頃146×83cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)天空神ウラノスと大地の女神ガイアの間に生まれた6番目(末弟)の巨人族で、ローマ神話における農耕神のほか、土星の惑星神や時の翁(時の擬人像)としても知られるサトゥルヌスが、我が子のひとりによって王座から追放されるとの予言を受け、次々と生まれてくる息子たちを喰らう逸話≪我が子を喰らうサトゥルヌス≫の場面である。サトゥルヌスの姿も強烈な光による明確な明暗対比によって痩せ衰えた身体が浮かび上がるように描かれており、また幼児の肉体から流れる生々しい血液の赤い色の効果も手伝って、怪物的かつ幻想的でありながらも、さも現実でおこなわれているかのような感覚を観る者に与え、食人的行為(カニバリズム)の異常性が強調されていることに気付く。お話の世界でなく、人間の極限状態を探求しているのではないだろうか?どの作品も興奮、危険、生命を感じる。スペインの状態を表したものなのか、それ以前の受難が信仰のもとに神のために命を捧げるという考えから、他国の支配からの独立のために命を捨てることへの激しさを表しているのかもしれない。レッドの生きるというサバイバルは、強烈だ。命とかかわっているからなのかもしれない。自由を求める強い人間の要求を思い出させるのが、ゴヤの作品といえるかもしれない。あなたにとってのレッドの体験はどのようなものでしょうか?3枚とも作品を観たい方はアメブロのブログをどうぞLove,Angelica