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カテゴリ:思うこと
山口県光市母子殺害事件・被告に死刑判決。
この事件が起きた当時、私は結婚して夫と暮らし始めたばかりだった。 妊娠6~7ヶ月で、毎日幸せで一杯。希望でいっぱい。 こんなに幸せでいいのか?と思うほどだった。 そんな時だったので、このニュースのことはよく覚えている。 見も知らない土地で、見ず知らずの人の出来事だけど、 遺族の本村さんは私と同い年だし、できたてホヤホヤの家族で、 幸せで一杯な時だということが、本当によくわかったから。 そのあと産まれた私の子どもも今では小学3年生になり、 日々学校に遊びに大忙し。 心配も尽きないけれど、毎日たくさんの喜びと希望を私たち夫婦に与えてくれている。 子ども、そしてその子どものために夫婦で一緒に笑ったり泣いたりすることが どれだけ生きる力になるか、一度知ってしまったら、失うのは死ぬより辛い事かもしれない。 私にとっては何にも代え難いこの9年という時間を、 本村さんがどんな思いで過ごしていたかと思うと、想像するだけで胸が潰れてしまいそうだ。 裁判の結果が出た今も、本村さんは「喜び」とはほど遠い場所にいる。 本村さんが「どうすれば死刑のような残虐な判決を下さなくてもいい社会ができるのか」 「3人の命を社会は見つめて欲しい」と言った会見の内容を読んで、 私も一緒に考えなければと思う。 『ツォツィ』2005/南アフリカ・イギリス アパルトヘイト後も続く南アフリカの過酷な現状と、未来への希望を見つめ、 第78回アカデミー賞外国語映画賞を受賞。 社会の底辺で暴力に明け暮れてきた少年が、生後間もない赤ん坊と出会ったことで 人間性に目覚めてゆく姿を描く。(Yahoo!ムービーより) 加害者である元少年のこと。 人格形成の土台となる家庭、そしてその家族を作った社会を考えると、 彼が死刑になったからと言って、問題が解決したとは到底思えない。 上記の映画でも「犯罪を犯す人間」ではなく、「その人間を作った社会」の問題に 目を向けることの重要性を訴えている。 考えだすと問題は山積みで、途方に暮れてしまいそうだ。 自分にできることはもちろん自分の子どもを大切に育てることだが、 「我が子だけ大切に」ではまったく意味がない。 つい「自分だけは、我が子だけは」と思ってしまう心と葛藤するのは、本当に難しい…。 実家の両親(養育里親としての)の葛藤ぶりや、 児童福祉施設で働いている末弟の話を聞くと、 家族だけが人を育てるのではないと本当に思う。 両親や兄弟はいるにこしたことはないけれど、 もしいなくたって決して『ダメ』なわけじゃない。 社会で補い合うことができる。 日本は普通に暮らしていると、社会から取り残された人たちの事がまったく見えない。 ないことになってしまっているような気がする。 無知なことがそれを助長してしまう。 知らない事の多すぎる自分が怖い。 だから今回の事件の元少年のことも、 私だって社会の一員として責任を感じなくてはいけないはずだ。 せめて、無関心の怖さだけは忘れないよう、 こうして時々自分に言い聞かせていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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